アスリートの快眠術

安打製造機・内川聖一さんが語る睡眠 30歳を過ぎた頃に気付いた「思考の転換、自己暗示」

内川聖一氏(40歳、元プロ野球選手)
内川聖一氏(40歳、元プロ野球選手)/(C)日刊ゲンダイ
内川聖一(40歳・元プロ野球選手)

 今季限りでプロ野球人生にひと区切りをつけました。

 2000年のドラフト1位で横浜(現・横浜DeNA)に入団し、ソフトバンク、ヤクルトを渡り歩いた現役生活は22年。その間、7度のリーグ優勝、8度の日本一を経験させていただきました。個人的にも史上2人目となるセ・パ両リーグでの首位打者、通算2186安打。多くの方々の支えがあって幸せな野球人生を送れたのは間違いありませんが、とはいえ、楽しいことばかりではありませんでした。

 横浜に入団して7年目くらいまでは、もがき苦しみました。レギュラーに手が届きかけながら、つかみきれない。初めて規定打席に到達したのは8年目の08年。初の首位打者を獲得したものの、数字に追われる毎日と常に試合に出て結果を出さなければいけないレギュラーの責任感のプレッシャーに押し潰されそうになりました。

 真剣に体調管理を気にし出したのはこの頃で、自宅で使っているベッドと同じメーカーの簡易マットレスと枕を購入し、野球道具を運ぶチームのトラックに積んでもらって遠征先で使うようになりました。プロ野球には、週末は金曜日が午後6時開始のナイターで、土日は午後1時開始のデーゲームという日程も多く、体調維持のために少しでも質のいい睡眠を取らなければ、と考えたからです。

 もともと、睡眠に悩みを抱えるタイプではありませんでした。幸か不幸かお酒はそれほど量を飲む方ではない。二日酔いとも無縁。それでも、試合での興奮がなかなか冷めず、寝つきが悪くなりました。試合後、帰宅前に球場でサウナに入って汗を出し切ったり、外食後に自宅やホテルの部屋に戻ってゆっくりとぬるめのお湯につかったり……。

 目への影響を考えて、ベッドに入ったらスマホは見ませんが、ユーチューブでヒーリング系の音楽を探して、子守歌代わりにかけていたこともあります。川のせせらぎやたき火、山の木々が揺れる音などさまざま試しましたが、僕の場合は最も気持ちが落ち着いたのが雨の音でした。

 なんでだろう……と考えて、ハッと思い当たりました。子どもの頃から野球漬けの毎日。父が高校野球の監督を務めていたこともあって、家の中でも話題の中心は野球でした。もちろん楽しくて続けた野球ですが、日々の練習がしんどいなと思うこともありました。寝床に入り、明日も練習か……と憂鬱になっていると、窓の外から雨の音が。練習が中止になるかも、とホッとしたものです。スマホから聞こえる雨の音で気持ちが穏やかになるのはそのためか、と思わず笑ってしまいました。

 そうやっていろいろと試す中で、30歳を過ぎた頃に気付いたことがあります。

 大事なのは、気の持ちようだな、と。

■「4時間しか眠れなかった」と「4時間も眠れた」

 眠らなければ明日に響く、少しでも長く寝ないとコンディションを崩してしまう……そんなことを考えすぎると、焦りにつながるし、逆にそれがストレスになる。そもそも野球でも、ゲンを担いだり、ルーティンをつくることを避けてきました。野球選手には、ヒットが出たら次の日も同じ道順で球場入りするとか、前日と同じものを食べるとか、ゲンを担ぐ人が少なくありません。でも僕は、なにか決まり事をつくってしまうと、性格的にそれに縛られてしまい、守れなかったときにそれが気になってしまう。

 睡眠に対する考え方も同じで、必ず8時間は寝るとか、質のいい深い睡眠を取ろうとは考えず、たとえ3時間しか眠れなくても、きょうはこれで十分なんだ、と考えるようにしています。自然に任せる、というか、ある種の自己暗示ですね。睡眠時間が短くても、こま切れになっても気にしない。4時間しか眠れなかった、ではなく、4時間も眠れた、と考えるだけで、精神的にだいぶ違いますよね。そうやってなんでもプラスに考える習慣がつけば、ストレスは軽減され、結果的にいい睡眠が取れる。

 僕なりの快眠術があるとすれば、それは思考の転換、自己暗示かもしれません。

▽内川聖一(うちかわ・せいいち) 1982年8月4日、大分県出身。横浜(現・横浜DeNA)時代の2008年に右打者史上最高打率となる.378で初の首位打者を獲得。ソフトバンクにFA移籍した11年に史上2人目となるセ・パ両リーグでの首位打者に輝いた。21年ヤクルトに移籍。今季限りで引退。通算2186安打、MVP1回、日本シリーズMVP1回。

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