がんと向き合い生きていく

「仁者は憂えず」の書を見て自分は毎日憂えていると思った

写真はイメージ
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 以前、私は「化学療法科」(現・腫瘍内科)に勤務し、抗がん剤治療、緩和医療にあたってきました。白血病や悪性リンパ腫の患者の多くは頑張って良くなり元気で退院されるのですが、手術後にがんが再発、あるいは転移して終末期にある患者の場合は、なかなか厳しい状態で紹介されてきます。たとえば、腹水や胸水がたくさんたまった状態です。入院期間は長くなり、亡くなられる方もおられました。

 がんの告知は行っていない時代でも、自身ががんであることを自覚している患者はたくさんいらしたと思います。医療者はがんと告げない、患者も聞いてこない、という関係です。ある患者には、がんが肝臓に転移していることを話していなかったのですが、抗がん剤治療で転移が消えて、良くなって退院されました。その患者は自宅に帰ってから、家族に「神様はいたんだ」と話されたそうです。本人は、がんであることが分かっていたのです。

 当時、私は患者に対して「大丈夫です」と繰り返していました。しかし、大丈夫ですと言われても、昨夜も大部屋から個室に移って亡くなった方がいた……そのようなことを、こそこそ患者同士が話し合っていたこともありました。

 テレビではザ・ドリフターズの故・志村けんさんがうちわのような太鼓を手に、「だいじょうぶだ~」「だいじょうぶだ~」と唱え回っていた頃のことです。病院の個室で、患者のお子さんがうちわを持ちながら、「だいじょうぶだ~」とふざけてベッドの周囲を回っていた光景を思い出します。

■治療がうまくいかないと…

 ある時、がん性胸水がたくさんたまった患者が入院されました。胸腔にドレーンを入れて、陰圧にして数日で胸水を抜き切ります。ほとんど抜き切ったところで、ドレーンから抗がん剤を入れて、胸膜を癒着させ、胸水がたまらないようにします。胸水が抜け、肺が膨らんだ状態で胸膜内に抗がん剤を注入できると、胸水はたまらなくなるのです。ただ、肺が十分に膨らまず、胸膜がいびつに癒着して、胸水が再びたまることもありました。

 治療がうまくいけば患者と一緒に心安らぐのですが、有効な薬剤が少なく他の部位への転移が起こり、厳しい状態になっていく方もおられます。予想以上のがんの進行は、患者にも私にも大きなストレスでした。

 当時、M病院長は、私が転居したことを知って、毛筆で「仁者は憂えず」と書いてくださいました。私はそれを額に入れ、リビングに飾りました。論語に「子曰く『知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず』」とあります。「仁者は憂えず」とは、「仁者は仁徳があり、あれやこれやと心配することはない」と解するようです。

 ある人は「いい字だね。さすがM院長先生だ。あなたは幸せだね」と言ってくださいました。また、中国からの留学生を自宅に招待した時にはとてもほめてくれました。当時、その書をずっとリビングに飾ったままにしていました。字をほめる人、文をほめる人、いろいろです。

 私は、その書を見て勇気をいただいたこともありましたが、ある時は「毎日が憂えてばかり」と思うこともありました。患者の病状が回復した時はよいのですが、厳しい状態が続くこともあるわけです。そんな時は情けないことに、私は毎日憂えていると思ってしまうのです。それで、この額を押し入れにしまい込んだこともありました。

 M院長は10年ほど前に亡くなられましたが、消化器病学の大家でした。最近、M院長の人間愛を思いながらこの達筆な書を見て、「一芸に秀でるものは、多芸に通じる」という言葉が頭に浮かぶのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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