上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

負担が少ない低侵襲治療を受けるなら裏にあるリスクを知っておく

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 医療が急速に進歩しているいまだからこそ、あらためて「安全で適切な医療」を見直すべきだと前回お話ししました。まずは薬の処方について取り上げましたが、手術をはじめとした治療も同じです。

 患者さんの命を守り、安全に手術を行ううえで最も重要なのは、「エビデンス(科学的根拠)にのっとった治療」です。エビデンスとは、該当する患者の病気に対して、その治療法が効果的なのか、安全なのかどうかの科学的根拠、臨床的な裏付けのことで、さまざまな大規模研究によって客観的に証明されたデータを基に構築されます。

 エビデンスのレベルは、対象者を無作為に2つのグループに分けて、一方は「評価しようとしている新しい治療法」、一方は「それとは異なる治療法」を実施し、結果を比較して評価する「ランダム化比較試験」が最も高く、さらに複数のランダム化比較試験の結果を統合して分析するメタアナリシスによって得られるデータは、より信頼性が高くなります。各学会で作成しているガイドラインで推奨している標準治療は、そうしたエビデンスを基に決められています。

 近年の心臓手術は、より患者さんの負担が少ない「低侵襲化」の方向に進んでいます。従来のように大きく開胸して行う手術に代わり、内視鏡を使いながら小さい切開で処置を行う「MICS」や、カテーテルを使って傷んだ心臓弁を交換する「TAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)」といった低侵襲治療がどんどん広まっています。

 負担が少ないことから、体に不具合を引き起こす合併症のリスクが減り、順調であれば短期間での退院を可能にするメリットが最大の魅力で、開胸手術はリスクが高くて実施できない高齢者の治療も可能になってきたのはたしかです。体への負担が少なく、入院期間が短いという理由だけで希望する患者さんも確実に増えています。だからこそ、そうした低侵襲の裏にあるリスクについて、患者さんは知っておくべきです。

■エビデンスの多くは「非劣性」

 低侵襲治療も、もちろんエビデンスに基づいた治療法です。しかし、その多くは「非劣性試験」によって構築されたエビデンスになります。これは、冒頭でお話ししたランダム化比較試験のような大規模ではなく、少ない症例数で新しい治療と標準治療とを比較する臨床研究を行い、「新しい治療法の効果は、許容範囲内で従来の治療法に劣るかもしれないが、ほかのメリットがある」といったことを確認する試験です。たとえばMICSでいえば、治療の内容が従来の開胸手術と同じならば長期的な成績は劣らないし、短期的には回復期間が早いというメリットがある、といった感じになります。短期的なメリットがクローズアップされれば、希望する患者さんも増えるのは当然です。

 しかし、MICSなどの低侵襲治療のエビデンスは、「すでにエビデンスが確立している従来の治療の成果と同じ内容が提供できたら」という前提付きなので、両者を安易に同じものと捉えるのは間違いです。効果と安全性に対する信頼性は、従来の治療法のほうが高いといえるでしょう。

 また、低侵襲治療の進め方についての判断は術者に委ねられています。ですから、技術が不足していたり、経験の浅い医師が低侵襲治療を行った場合、従来の治療法よりも不十分な内容になり、患者さんにとって不利益が大きくなるリスクもあります。低侵襲治療の多くは狭い視野の範囲で実施されるため、ちょっとした問題が起こったときでもリカバリーしづらく、従来の治療と比べて大きなトラブルにつながる危険性が高いのです。

 以前にお話しした国立国際医療研究センター病院で起こったMICSによる死亡事故は、まさにこのパターンだったといえます。こうした不利益を回避し、患者さんが自分の身を守るためには、低侵襲治療は負担が少ないという短期的なメリットだけを見るのではなく、その裏にあるリスクをしっかり理解しておく必要があるのです。

 そのうえで低侵襲治療を希望する場合、治療を受ける医療機関や担当医をどれだけ信頼できるかという観点から選択することが大切です。緊急性があるケースは別ですが、比較的余裕があるときは、治療の説明を聞いて少しでも不安な点や引っかかるところがあれば、それがクリアになるまで控えたほうがいいといえるでしょう。

 私が患者さんにおすすめしているのは、入院して手術を受けましょう、治療しましょうとなったときに、病院のホームページに掲載されている実際の手術動画を確認することはもちろん、より具体的に手術に要した時間や完遂率を提示してあることをチェックする。そのうえで、病棟全体の雰囲気を確認したり、実際にそこで治療を受けている患者さんの具体的な声を聞いてみることです。それらを見聞きして自分が納得できれば、安心して治療を受けることができるでしょう。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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