上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

進化する低侵襲治療は「高額医療」でもあると知っておくべき

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 これまで何度かお話ししてきましたが、近年、心臓手術は「低侵襲化」の方向に進んでいます。これまでの手術と同じ内容のまま患者さんの負担をより小さくするための方法が模索されているのです。たとえば、「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)という血管内治療がその代表的なもので、大動脈弁狭窄症の患者さんに対し、カテーテルを使って人工弁に交換する治療法です。胸を大きく切開しなくて済むうえ、人工心肺装置を使って心臓を止める必要もないため、患者さんの負担は大きく軽減します。

 また、胸部大動脈瘤などに使われる「ステントグラフト」もそのひとつです。瘤ができた動脈に、内部にバネを入れた人工血管ステントグラフトを留置し、血液が瘤の部分には流れ込まないようにする方法です。

 外科手術でも、人工心肺装置は使わずに心臓を動かしたまま手術を行う「オフポンプ」がさらに広がり、最近では、僧帽弁閉鎖不全症の患者さんに対し、人工心肺装置は使わずに傷んだ僧帽弁の修復を行う「ネオコルダ」が登場しました。それまでのように大きく開胸して心臓をいったん止めた状態で弁形成するのではなく、左胸を4センチほど小さく切開して心臓の先端にあたる心尖部から専用デバイスを挿入し、伸びたり切れたりしてずれた状態になっている僧帽弁の腱索に糸を通し、引っ張って再建します。

 ほかにも、それまで大きく切開して行っていた手術をより小さく切開する「MICS(ミックス)」が登場しました。さらに、手術支援ロボットのダヴィンチやhinotoriを使ったロボット手術も低侵襲治療のひとつとして進化しています。患部に2~5カ所程度の小さな穴を開けて内視鏡カメラとロボットアームを挿入し、冠動脈バイパス手術や僧帽弁形成術などを行います。

 こうした体への負担が少ない低侵襲治療が進歩すれば、それまでは外科手術による決定的な治療ができなかった高齢者や慢性疾患がある高リスクな患者さんも治療が可能になります。また、日常生活を取り戻すまでの回復期間が短くなるというメリットもあり、患者さんにとって大きな福音であるのは間違いありません。

 しかし一方で、現在の低侵襲治療には大きな問題があります。以前にもお話ししましたが、低侵襲治療のほとんどが「高額な医療」なのです。たとえば、先ほど挙げた胸部大動脈瘤の治療で使うステントグラフトは1本150万円ほどの価格です。また、ネオコルダでは使われる2本の糸だけで約500万円もします。手術支援ロボットの販売価格は1台でおよそ2億~3億円なうえ、鉗子など使い捨ての器材が手術1回あたり50万円ほどかかり、年間の維持費は約1000万~2000万円に上ります。

 いわば、患者さんの体の負担を少なくするために高額な費用をかけているのが現状で、「高支出低侵襲治療」になっているのです。そうした高額な費用による利益の多くは医療機器や器材を提供している企業に入り、病院側の利益は逆に薄いのが現実です。現時点で保険承認されている手術や治療だけでは、費用を短期で回収するのは難しい状況なのです。ですから、このような低侵襲治療の「高支出」の部分を今よりもっと抑えられなければ、手術や治療が進化したとは言えません。

■必要ない治療を強制されていないかをチェック

 患者さんは当然ながらそうした低侵襲治療の実情はわかりません。そのため患者さんの希望が、より新しくより負担が少ない治療にどんどん向いていくのは仕方がないといえます。ただ、そうした患者さんの要求する低侵襲治療に、医療者側が無理に応えようとすると、経験不足からの医療事故を引き起こすなどして、それを繰り返せば社会問題になりかねません。その結果、病院経営にも大きなマイナス要因を残すことにつながります。

 また、最も危惧するのは患者さんの不利益さえ生じる可能性があることです。医療機関が少しでも利益を上げるため、まだ長期的なエビデンスが不足していたり、本来ならその治療が必要ない段階なのに、医師が「負担が少ない」「リスクが低い」といったプラス面だけを患者さんに説明し、無理やり低侵襲治療を進めてしまうケースがあるのです。高支出な低侵襲化が進む医療の大きな落とし穴といえます。患者さん側も現在の低侵襲治療は高額な医療だという認識を持ち、負担が少ないというだけで安易に飛びつく姿勢は考え直す必要があるでしょう。

 繰り返しになりますが、低侵襲治療は回復を早め、患者さんにとっては生活の質を損なわずに済むメリットがあります。しかし同時に、本来であれば必要のない治療を強制されていないか、従来の治療に比べて質が落ちていないかどうかをしっかり確認することが大切です。症状が軽い段階では、治療経験が多い施設でのセカンドオピニオンを受けることで、不必要な治療を回避できる可能性があります。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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