医療だけでは幸せになれない

感染症の流行に終わりなし…不要不急の外出禁止がもたらした矛盾

マスク着用には感染症予防以外のニーズもある(写真はイメージ)
マスク着用には感染症予防以外のニーズもある(写真はイメージ)/(C)日刊ゲンダイ

 2019年12月に原因不明の重症肺炎が中国で報告されてから、丸3年以上が経過した。この間、いろいろなことがあった。「あった」というのは正確な表現ではない。いまだ現在進行中である。日々、さまざまなことが起こり続けている。日々、新たなニュースが報じられ、何も終わっていないというのが現実だ。感染者数や重症者の情報は毎日流され続けている。終わってから振り返るというには、まだまだ時間がかかりそうだ。終わらないという可能性もある。むしろ、その確率が高いといった方がいいかもしれない。またコロナが収束したとしても、新型インフルエンザなど、別の感染症の流行は今後も必ず起こるだろう。

 感染症の流行には終わりがない。一時的な収束があるだけだ。終わりを待つのがどうやら無理らしいということに、そろそろ気づいた方がいい。あるいは、次のように言うこともできる。感染症に限らず、人間の健康に対する病気の脅威はなくならない。さらに言えば、病気の脅威がすべて克服できたとしても、老いによって健康は徐々に失われるし、その先の死を避けることはできない。不老不死とはいまだ想像上のものに過ぎない。天国、極楽と同じレベルである。

 そんなふうに考えると、コロナの問題も決して新しい問題ではない。これまで繰り返し現れた問題のひとつに過ぎないし、時々現れるだけではなく、解決されずに常に今ここにある問題のひとつというだけだ。だから、コロナの患者がゼロになったからといって、それは流行が終わったというだけのことで、問題が解決されたというわけではない。

 もちろん感染者がゼロになれば、個人のレベルで、マスクを外し、気兼ねなくみんなと食事をし、忘年会や新年会を楽しみ、野球やサッカーなどを観戦しながら大声で応援できるようになるだろう。しかし、できるようになったからといって世の中がどうなるかはわからない。流行するのはコロナだけではない。普通の風邪も、インフルエンザもなくなりはしない。コロナの流行中の風邪やインフルエンザの減少を見て、コロナ収束後も引き続き同様な予防対策をしようと考える人は少なくないだろう。

■顕在化されたマスク問題

 マスクに関して言えば、流行が収まっても多くの人が着け続けるつもりというニュースも耳にした。

 ただ、このマスクの着用に関しては、感染症予防ということだけではない。健康維持のためというよりは、顔を隠したいというようなまったく別のニーズがある。コロナ流行以前からマスクを着けている人はそれほど珍しくはなく、それが問題にされることはなかったが、コロナの流行が健康と無関係なマスクの着用の問題も同時に顕在化させた。さらにわかりやすく言えば、マスクをしていない人を見つけては着用を強制する“マスク警察”の出現、逆にマスクの着用を断固として拒否する反マスクグループの出現。これは健康の問題ではない。

 コロナの流行も、健康だけの問題ではないと言えば当然のことでもある。コロナの流行は、人間の健康以外にも、多くの脅威をもたらした。むしろその健康以外への影響と健康に対する影響が相反するところに最大の問題があった。「命か経済か」というフレーズがしばしば語られたのは、そのひとつだ。しかしこれも、人は健康を失っても死ぬし、貧困で食べられなくても死ぬという、古くからある問題に過ぎない。

 さらには、経済という中には、当然、健康とは別の部分がある。むしろ日本のような豊かな国の経済の問題は、個人レベルでは健康の問題ではなく、自由な消費活動の問題である。「不要不急」の外出を避けようというフレーズが強調されたが、「不要不急」こそが多くの人にとっての楽しみ、もっと言えば幸せというのが、今の世の中の主流である。ただその反対に、誰もが「健康第一を目指す」という面をもっており、その矛盾をコロナが明らかにしたということだろう。

 新型コロナという新しい感染症を通して現れた、古くからの根本的な問題を考えたい。よろしくお願いします。

(名郷直樹/武蔵国分寺公園クリニック名誉院長)

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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