医療だけでは幸せになれない

対話型AIに聞いてみた ロックダウンと自粛の「倫理」

緊急事態宣言下で閑散とする渋谷のスクランブル交差点
緊急事態宣言下で閑散とする渋谷のスクランブル交差点(C)日刊ゲンダイ

「ロックダウンと自粛の倫理」について考えてみたい。「倫理」というのはなかなか難しい。日常的にはほとんど使われない言葉だ。ただ身近なところでは、「不倫」というのがある。これは「倫理的でない恋愛」ということだと思われるが、自粛を破って外出することが「倫理的でない行動」、「不倫」に当たるかどうかと考えてみる。

「いわゆる不倫」に沿って考えれば、自粛を破って外出するのは「不倫」に当たるということだろうか。しかし、「いわゆる不倫」もいろいろである。家庭内暴力に苦しむ人が、手を差し伸べてくれる人と恋愛関係になるというのは「不倫」だろうか。微妙である。経済的な理由から別れられないという壁を、「不倫」によって乗り越えられるかもしれない。そう考えるとこれはむしろ倫理的な行動という面もある。コロナ感染で言えば、家族が病院で重症化しても、面会の自粛が求められたりする。こうした状況では、面会できる方が倫理的な判断ではないかということだ。

 どういうことか。端的に言えば、不倫はダメ、自粛破りはダメという単純な判断をすべきではない。倫理的かどうか、よく吟味が必要である。不倫であっても、倫理的かもしれない。ここに倫理のもっとも重要な側面が現れているように思われる。倫理的な問題は、「倫理的かどうか判断が困難な状況で現れる」ということである。倫理の問題は難しい。こうした難しい問題をAI(人工知能)はどう考えるのだろう。ちょうど対話型AIなるものが話題になっている。私も少し使ってみた。Bingというのに登録できたので、試しに「倫理的とは」と質問してみると、以下のような回答が得られた。

「倫理的とは、倫理にかなうさま、または倫理にかかわるさまを表す形容詞です。倫理とは、人として守るべき道や善悪の判断の基準のことで、道徳やモラルと同じ意味です。例えば、『倫理的な生き方』や『倫理的責任』などの言い方があります」

■倫理を個人に求めることの倫理

「道徳的やモラルと同じ」とあるので、今度は「倫理的と道徳的の違い」について質問してみると以下のような回答である。

「倫理的と道徳的の違いについては、様々な見解がありますが、一般的には以下のように理解されています。倫理は社会全体や特定の集団・職業における善悪の判断基準を指し、客観性や合理性を重視するものです。道徳は個人の内面における善悪の判断基準を指し、自発性や感情を重視するものです。例えば、医師が患者に対して嘘をつくことは倫理的に問題があると言えますが、道徳的には嘘をつくことで患者の心配を和らげることができる場合もあります。このように、倫理と道徳は必ずしも一致しないことがあります」

 AIの回答に基づけば自粛の倫理を考える際に、自粛を求める国側の善悪の判断基準を問うものが「倫理」で、それを受けて、個人がどう考え、行動するかという基準が「道徳」ということになるだろうか。そう考えると議論が進めやすい。AI、侮り難しである。

 この違いに沿って、ロックダウン下の行動制限と自粛下の行動制限について考えてみる。ロックダウンは、国としては客観性や合理性を重視し、外出しないことを倫理的な行動と考え、法的な罰則を設けて外出を制限する。そこで外出すれば、それは個人の判断、個人の責任となり、罰を受ける必要が生じる。この背景には、個人の自発性や感情が、倫理のレベルではコントロールできず、法的な強制が不可欠な社会ということでもある。

 一方、自粛はどうか。外出しないことが倫理的かどうか、国としてはしないことをお願いするが、最終的な判断は個人の自発性にゆだねるということである。ここにはロックダウンとは逆に、個人の自発性や感情が国の強制がなくてもコントロールできるという見通しがあったのかどうか。もしあったとしたら、それは倫理的ではない気がする。皆さんはどう思うだろうか。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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