がんと向き合い生きていく

“診察待ち”で再会したかつての上長は3回目のがん手術を受けるという

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 診察室の前の廊下には長椅子が設置され、患者は壁にかかったテレビに向かって待つようになっています。患者は“呼び出し器”を渡されていて、順番が回ってくると呼び出し音と表示があり、診察室に導かれます。機器が鳴ると、待っている患者は自分のものが鳴っているのかどうかを確かめます。

 その日、Sさんは採血などの検査を済ませ、診察室の前で40分ほど待っていました。

「お、Sさん」

 後ろから自分を呼ぶ男性の声がしました。振り向くと、マスクはしているものの目元が笑顔のFさんです。

 Fさんは、以前、同じ職場で働いていた時の事務長でした。定年退職後は、年1回くらい当時の職場のメンバーが集まって食事会が開かれ、親しくさせていただいていました。その日はFさんも同じ医師の診察を受けに来たようです。

 Fさんは、Sさんの隣に座って話し始めました。

「5年前、前立腺がんの手術を受けました。去年は食道がんを見つけていただいて、内視鏡で切除してもらいました。早く見つけてくれたおかげで長生きさせていただいています。今度は胃がんが見つかりまして、1カ月先ですが、これも内視鏡で取っていただける予定になっています。それに、私は心臓にペースメーカーが入っているんです。もう97歳になります」

 Sさんは、Fさんが97歳と聞いて驚きました。元気そうで、しっかりしていて、背筋も一緒に働いていた当時と変わらない。年齢はもっと若いと思っていたので、すごいと思いました。

 それでも考えてみれば、Fさんと一緒に働いたのはもう40年以上も前になります。長い間、医療関係の仕事をされたFさんは、病院にはとても詳しい方でした。

「ここの病院は、昔は有名な医師がたくさんおられました。いまは有名な方は少なくなりました。でも、しっかりした医師が、よくやってくれていると思います。医師のみなさんのレベルが高くて、しかも最先端医療が取り入れられているんだと思いますよ。Sさん、お互いに昔の思い出は尽きませんね。コロナが落ち着いていれば、また、秋にでも食事会をしたいですな」

 話がそこまで来て、Fさんの呼び出し器が鳴りました。Fさんは「それではお先に。終わったら、会計のところで待っています」と、笑顔で診察室に入っていかれました。

■昔、一緒に食事した食堂に入ると…

 そう言われれば、Fさんはたしか病院の建設だけではなく、人材集めや感染予防などのマニュアル作りにも積極的だった。隠れたすごい功労者だったなと思い出しました。ある新病院の設立にあたっては、院長候補としてある大学のM教授に白羽の矢が立った時、就任を説得されたひとりがFさんだったと、ずっと後になってから聞いたこともありました。

 Fさんが診察室から出てくると、今度はSさんの呼び出し器が鳴りました。

 Sさんの診察は15分ほどで終わり、診察室を出て会計に向かおうとしたところ、今度は知らない男性に呼び止められました。

「あなたは何時の予約でしたか?」

 Sさんは予約票を見せながら、「11時30分でしたよ」と答えました。すると男性は、「そうか、自分は12時の予定で、いまは12時半。やっぱり1時間遅れているのかな。もう30分くらい待つのかな。ここの先生は熱心でありがたいけど、診察に時間がかかるからね」と口にしていました。

 Sさんが会計のため受付に行くと、Fさんが手を上げて合図をしています。

 FさんとSさんは、連れだって駅に向かう道の途中、昔、一緒に入った食堂で、昼食をとることにしました。店内に入ってみると、新装されていて以前の面影はまったくありません。マスク越しに思わず2人は笑ってしまいました。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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