がんと向き合い生きていく

かつての同僚が胃がんに…医者は自分の専門分野で亡くなることもある

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 研修医の研修状況を確認するため、グループのM病院を訪ねた時、元同僚のK先生に会いました。K先生とは、約20年間、一緒に胃がんの患者の治療にあたりました。

 標準治療など示されていない時代で、彼に無理を承知で手術をお願いし、治癒した患者はたくさんいらっしゃいました。K先生の手術の技術は院内外で定評があり、私は患者の胃がんに関することについて、ほとんどなんでも相談していました。

 K先生がM病院の研修医担当に栄転されたのが5年前です。それからしばらくして人づてに聞いたところによると、彼自身が胃がんになったといいます。しかも、肝臓に多数の転移があるというのです。にわかには信じられない話でした。

 久しぶりにお会いしたK先生は、いつものようにやや太った体形で、白衣のボタンが前に突き出ていました。「やあ」と、お互いに目と目が合います。なにか言いたげに思えましたが、私は普段と変わらずにあいさつしました。なんとなく、K先生の顔の皮膚が少し荒れているような気がしました。

 事務係の方と共に初期研修医の教育、研修状況を報告してもらって、帰路につきました。

 病院に滞在していたおよそ1時間のうち、30分くらいK先生と2人だけになりましたが、個人的な話はしませんでした。先に耳にした話では、K先生は2カ月前に胃がん手術で開腹したものの肝臓転移がひどく、そのまま閉じたといいます。K先生自身はすべてを知っているけれど、絶対に秘密ということになっているらしいのです。

 K先生は私に何か言いたげに感じましたが、そのことには触れませんでした。私は知らないことになっています。彼から言い出さない限り、私は話せません。どう治療して、どう勤務されているのか……分からないことだらけでしたが、仕方がないのです。心の中で「がんばれよ。お大事にな」と思いながら、そのまま別れました。

■半年後に訃報を聞いた

 帰りの電車で、「K先生はもともと太っていたが、あのお腹の膨らみは、まさか腹水によるものだろうか……」とも考えました。気のせいか、何か寂しい気がしました。抗がん剤治療しかないだろうに、その言葉さえ出せませんでした。

 病院から帰る際、K先生は玄関まで送ってくれました。別れてから思いました。

「あの体で、満員電車に乗って通勤しているのだろうか? たしか、自宅からは1時間以上かかるはず。厳格な彼は、きっと、朝早く出勤しているのだろう。手術には入っているのだろうか……。そういえば、昔から汗っかきだった」

 K先生とは、その時に会ったのが最後となりました。半年後、彼の訃報を聞いたのでした。

 K先生には、本当に長い間、お世話になりました。上司に対して遠慮なく、自分の意見を進言できる方でした。彼は、真面目で、細かいところにも目が行き届き、厳格とは言いすぎかもしれませんが、意見を曲げることはありませんでした。その点で、彼の下についた医師はその厳格さに大変な苦労をした、という話を何回も聞いたことがあります。でも、患者をお願いするのには、全幅の信頼がおける方でした。

 10年ほど前、私がある学会の治療ガイドライン作りのまとめ役になった時、K先生にも委員として参加いただきました。手術の部門については、多くを彼に頼っていました。もちろん、学会のガイドラインなので、原案を検討委員会と評価委員会で審査し、さらに学会内のパブリックコメントも検討して完成されます。K先生は自身が関係された部分の文案の作成だけでなく、他の委員の文案もしっかり読み、検討してくれました。委員の方々には、委員会の開催前に、提出する文案をすべて読んでいただいてもらうのですが、彼はしっかり読み込んで一字一句訂正してくれていました。

 自分の病気のことを私に相談したところでどうなるものでもありません。まして、胃がんは彼が最も専門としている分野です。それだけにつらかったでしょう。医者は、自分の専門分野で亡くなることもあるのです。

 あの時、K先生の病気のことを私から話すべきであったと、今でも後悔しています。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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