医療だけでは幸せになれない

「メタ分析」の情報の氾濫はむしろ判断を混乱させる

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 前回、メタ分析の2つのバイアス、「出版バイアス」と「異質性バイアス」について説明した。今回は、その続きである。

 メタ分析のためには、徹底的な漏れのない情報検索で候補となる研究を同定し、その中から一定の基準を満たした質の高い研究を選び出す必要がある。候補論文の「同定」と「抽出」という作業である。この部分について、例で取り上げたメタ分析ではどのように行われているか見てみよう。

 論文検索にあたり、臨床疫学者が検索し、2人の上級医学図書館司書によって検討され、候補論文の同定が行われたとある。情報検索は、複数の専門家によってなされている。さらに候補論文から解析に用いる論文を抽出するにあたっては、10人のこの論文の著者がそれぞれ独立して作業をし、一致しないものについては著者間の議論によって最終的な採用を決めたとある。論文の抽出にあたり大勢で相談しながらではなく、まず一人一人が単独で評価し、一致しないものについて議論して決めるという標準的な手続きが踏まれている。

 この論文中には、この点が、このメタ分析の最大の強みのひとつであるとの記載がある。情報収集についてのバイアスを最小限にとどめるような努力がなされているというわけである。ただ、ここで最大限の努力がはらわれていたことは評価できるが、バイアスが避けられているかというと、そうとは限らない。

 前回指摘したように、出版されていない論文はそもそも候補に入れることができないし、英語以外の言語で書かれた論文を網羅的に検索し、評価することもむつかしい。そのため、どうしても英語以外の言語で書かれた論文は漏れやすいという問題もある。これらの問題が具体的に結果を、どう歪めているかの検討は困難である。

 さらに、もうひとつ大きなバイアスがある。一定の基準を満たした質の高い論文ですら、一つ一つの研究にはバイアスの可能性がある。抽出された論文自体のバイアスの問題である。ここでは多くの専門的な知識を要する。まずは臨床研究のタイプを理解する必要がある。そのタイプにより、検討のポイントが異なるからである。

■論文の系統的評価は簡単ではない

 このメタ分析では「観察研究」と「介入研究」という2つのタイプの研究を統合しているが、観察研究と介入研究ではチェックするポイントが異なる。

 観察研究の代表は、「コホート研究」という実際の臨床現場で行われていることを観察して検討する研究で、ランダム化比較試験のように研究者側がどんな治療介入をするかを実験的に割り付ける介入研究とはバイアスの検討事項が違うのである。

 観察研究では、研究者側でマスクを着けるか着けないかどうかを指示するわけではなく、現実にマスクを着けていた人と着けていなかった人を比較するために、以前指摘したような自己選択バイアスや交絡因子を避けがたい。

 さらには観察研究では多くの解析が行われることが多いため、たまたま「有効」という結果が出た部分が報告されやすい面もある。事実、このメタ分析の論文の評価においても、大部分の研究において交絡因子によるバイアスの可能性は高いと報告されている。

 介入研究については、マスクの効果の検討に対して本連載でも取り上げたデンマークのランダム化比較試験が分析に利用されているが、この論文の個別のバイアスの評価については記載されておらず、「全体としては中等度のバイアスあり」という評価が報告されている。

 メタ分析をするからといって、個々の研究のバイアスが修正されるわけではないのである。

 多くのメタ分析が行われるようになって、医療者の判断に大きな影響を与えるようになった。

 しかし、多くの医療従事者はこうした論文を系統的に評価する方法を学んではいない。医療従事者が「メタ分析の結果だ」と言って提供する情報であっても怪しいものがある。ましてや患者側がこうした情報を吟味するのは困難である。質が高いといわれるメタ分析の情報の氾濫は、現在の判断をむしろ混乱させているのかもしれない。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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