上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

“やらなくてもいい”心臓手術を行う医療機関が増えている

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 心臓手術で使用される人工血管や人工弁といった人工物はできる限り正常な状態の生体組織に設置することが重要だと、前回お話ししました。明らかに病変が残っているような異常な組織に人工物を縫い付けてしまうと、その場では問題がなくても、後になってそこがトラブルのもとになり、再手術が必要になるケースがあるからです。ですから、その組織は正常なのか異常なのか、その境目をしっかり見極められる外科医に手術してもらったほうがいいのは間違いありません。

 また、組織が正常か異常かの判断は切開して外科医が自分の目で確認するのが理想的です。そのうえで処置したほうが治療効果が高い患者さんもたくさんいると思われます。ただ近年は、大きく切開をしないで済むカテーテルを使った治療が盛んに行われています。その場合、病変を自分の目で直接見ることなく、人工物を埋め込むなどの処置をすることになりますから、いずれ何らかの問題が生じるのではないかという心配があります。

 もちろん、いまは手術前の造影CTやMRIやエコーといった画像診断技術が大きく進歩していて、病変の質的な評価のレベルは高くなっているので問題ないという見方があるのは確かです。しかし、このまま患者さんの数がさらに増えていけば、トラブルも増える可能性があるのです。

 近年、循環器内科で数多く行われている「TAVI」(経カテーテル大動脈弁留置術)も同様の懸念があります。TAVIはカテーテルを使って傷んだ心臓弁の部分に、人工弁を留置する治療です。負担の少ない低侵襲治療で、それまでなら手術できなかったような高齢者にも実施できるとして一気に広まりました。とはいえ、こちらも病変を自分の目では確認できないうえ、長期的に見たとき、傷んだ弁=異常な組織の部分に人工弁がどのように適合していくのかは未知数です。いまはその過程を追っている段階ですが、経験的には、TAVIを受けた患者さんが増えれば、いずれ問題が起こるケースも増えるだろうと予想されます。

 TAVIの患者さんはほとんどが超高齢者なので、仮に治療後にトラブルが起こったとしても、大がかりな再治療が必要になるケースは多くはないでしょう。ただ、高齢者に対して治療成績が良好だから、若い患者さんにも実施しようと適用範囲を拡大していくと、その“揺り戻し”が来る可能性は高くなると思われます。

“必要のない手術”を行う医療機関には要注意
“必要のない手術”を行う医療機関には要注意
本人の希望で手術を受けた中学2年生の患者は…

 やはり、手術(治療)後のトラブルを防ぐという点から考えると、心臓手術で使う人工物はなるべくきれいで正常な組織に設置するのが最善です。だからといって、組織にそれほど異常が見られない、比較的状態が良好なうちに手術を実施するのは大きな間違いです。手術後のマイナス面が多いため、本来であればまだ手術する必要がなかったり、明らかな症状が出ていない段階の患者さんの手術を行うべきではありません。

 それなのに近年は、そうした患者さんに対する“やらなくてもいい手術”を実施する医療機関が増えているのが現状です。経営的な観点から、早いうちから患者さんを囲い込みたいという思惑があるのは確かですが、一方では患者さん自身が「手術をしてほしい」と希望して来院するケースが増えているのです。

 つい最近も、中学2年生のお子さんがいる親御さんから、こんな話を耳にしました。その息子さんは「大動脈二尖弁」という心臓の構造異常がありました。本来なら開閉する弁構造が3枚ある大動脈弁が、生まれつき2枚にしか分離していない病態です。弁が2枚だからといって日常生活に支障を来すわけではなく、そのまま一生を終えるケースは少なくありません。

 とはいえ、弁の大きさや配置のバランスによっては、片方の弁にかかる負担が大きくなり、徐々にズレを生じて血液の逆流につながったり、負担の大きさの違いから硬化を来すなどして、大動脈弁狭窄症や大動脈弁閉鎖不全症といった心臓弁膜症を発症しやすくなったり、大動脈瘤や大動脈解離を起こしやすくなるケースもあります。

 息子さんは、そうした情報をインターネットなどで調べたのでしょう。彼の年齢ではまずこれといった症状は出ていないはずなのに「どうしても手術を受けたい」と、ある心臓外科医を訪ねたそうです。そして、そのまま機械弁に交換する手術が実施されました。

 機械弁が設置された場合、血栓が生成されるのを防ぐワーファリンという抗凝固薬をずっと飲み続けなければなりません。しかし、その息子さんは今度はワーファリンに関する副作用などのマイナス情報を目にして自主的に服薬を止めてしまいました。その結果、血栓がつくられて、いつ致死的な心臓トラブルを招いてもおかしくない状態で生活しているといいます。

 これは“必要のない手術”が行われたことで生じたリスクといえます。どれだけ患者さんが手術を希望していても、外科医が「いまはまだ手術しないほうがいい。あなたの年齢では手術後のマイナス面のほうが大きい」と一言説明すれば、起こらなかった問題です。

 心臓手術には、手術するべき最適なタイミングがあります。患者さんの希望を拡大解釈して必要ない手術を行う医療機関には注意が必要です。

■本コラム書籍化第2弾「若さは心臓から築く」(講談社ビーシー)発売中

天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

関連記事