医療だけでは幸せになれない

研究結果と個人の実感の差「予防のパラドックス」はなぜ起きるのか

(C)日刊ゲンダイ

 引き続き、研究結果と個人のギャップについて取り上げていこう。マスクの問題に戻れば、「マスクが感染予防に有効」という論文であっても、その実情は、マスクを着けて感染しなかった人、マスクを着けずに感染した人だけではなく、マスクを着けたにもかかわらず感染した人、マスクを着けなくても感染しなかった人が必ず含まれる。

 個人個人の経験に基づくならば、マスクを着けていても感染した人や、マスクを着けずに感染しなかった人は、マスクに意味はないと考えるのが普通だろう。さらにはこれだけみんながマスクを着けていても流行が収まらないという現実を見れば、「マスクは無意味」と考えるのが正しいように思えるだろう。そして、それはある意味正しい。

 臨床試験では、マスクをする人としない人を比べるのだが、それはあくまで研究の枠組みの中でのことに過ぎない。現実にはマスクをした生活、しない生活という、いずれかの生活があるだけだ。個人個人がその2つを比較することは困難だ。

 たとえばマスクの着用によって10万人中100人の感染が80人に減るとする臨床研究があったとしよう。「マスクをしても80人が感染するのか、それならマスクは無意味ではないか」と思う人は多いだろう。感覚的な印象で言えばそれは正しい。しかし、10万人中100人が感染する世界を経験したら、どうだろう。両者を比較した末の結論は変わるかもしれない。個人に効果が実感できなければ、個人にとってマスクが有効という研究結果はそもそも意味がない。集団に対する効果を個人にとっても有効だというのはむしろ正しくない。これは「予防のパラドックス」と呼ばれるものの一側面である。

 ここで、肥満、糖尿病患者、がん患者のようなコロナ重症化のハイリスク患者に限ってマスクを勧めるという対策と、全住民に対してマスクを勧めるという対策を比較してみよう。前者ではマスク着用が守られる率が高く、100%近い着用が達成され、後者では着用があまり守られず、50%の人が着用しただけという状況を考えてみる。一見考えると、きちんと指示を守る前者に集中した方が効果のある対策と感じられるかもしれないが、必ずしもそうとは言えないし、むしろ後者の対策の方で効果が大きいことが多い。なぜか。

■予防効果は全体対策の方が良い

 全住民の中で糖尿病や肥満、基礎疾患を持つなどハイリスク患者が30%だったとしよう。ハイリスク患者のみが100%マスクをすると仮定して、マスクによって感染が相対危険減少(疫学の座標のひとつ。暴露群と非暴露群における疾病の割合である相対危険を1から引いたもの)で20%予防できるとすると、10%の人が感染したという流行状況において、マスクで予防できる感染者数は全人口の0.6%になる(30%の10%=3%が感染する場合に、マスクでその3%の感染のうち20%予防できる。つまり感染者数の減少分は30%×10%×20%=0.6%)。10万人を対象とした地域であれば、30%のハイリスク者3万人のうち0.6%なら180人である。

 しかし、全住民にマスクを勧めた時にも同様に20%予防できるとすると、50%のマスク着用率ではその半分の10%の予防効果しかない。しかし、10%の流行状況でそのうち10%がマスクによって予防できるとすると、全人口の1%の感染が予防可能で、10万人の全住民においては1000人の予防が可能になる。先の180人よりはるかに多数の予防が可能である。ハイリスク者だけに限って厳しい対策をとるというのは一見効率の良い方法のように思われるかもしれない。予防において対策の効果を実感することは困難である。多くの場合、個人については無効であると感じやすい。しかし、それは実際に予防できる絶対数でみると、全体に対策を講じたほうが効果の薄い介入であっても良い場合が多いのである。これはワクチンにも当てはまるし、高血圧や高コレステロールの治療にも当てはまる。

 最後に本連載について報告がある。日刊ゲンダイの紙面での連載は今回で終了になる。難しすぎるというのが主な理由だと聞いた。その批判はその通りだと返答するしかない。数字や計算が多く、その場で理解するのが難しいことは私も重々承知である。しかし私がここで書く理由は、この記事が十分理解できないからこそ、この先を学びたいという人に向けて書いている面が強い。紙面での連載はこれで終了だが、Webでの連載は継続となる。図表の使用なども可能になり、これまでよりもより深い内容でお届けできるいい面もある。引き続きよろしくお願いします。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

関連記事