元国立がん研究センターの医師は重度の糖尿病を食事・運動・計測で治した

元国立がんセンター研究所疫学部長の渡邊昌さん
元国立がんセンター研究所疫学部長の渡邊昌さん(提供写真)
渡邊昌さん(82歳/元国立がんセンター研究所疫学部長)

 糖尿病と宣告されたのは29年前、私が53歳の頃です。当時国立がんセンター(現国立がん研究センター)研究所の疫学部長として忙しい日々を送っていました。ある日、出張先のホテルの体重計がいつもの77キロではなく72キロを指しているのに気づきました。ハッとして触った胸やお尻の筋肉も張りがなく筋肉が壊れている妙な感覚です。仕事柄、元気で何の症状もないのに急激な体重減少があれば、がんを疑います。“膵臓がんかもしれない”と最悪の事態を考えました。

 帰京後、すぐに同僚の医師の診断を受け、がんではなく糖尿病と診断されました。空腹時血糖値が血液100ミリリットルあたり260ミリグラム(正常値は110ミリグラム未満)、直近1~2カ月の血糖値を反映するヘモグロビン(Hb)A1cが12.8%(正常値は5.8%未満)もありました。即入院の値です。担当医からも「もう血圧も高く、合併症も併発しているのですぐに治療が必要です」と宣告されました。

 言われて気がついたのですが、その数年前から体がだるい、肩が凝る、目が疲れるなどの不定愁訴が続き、免疫が落ちているのか風邪をひきやすく、頑固な水虫も一向に治りませんでした。

 糖尿病の原因もいろいろ考えましたが、ストレスが大きいのでは、と考えました。当時は疫学部長として難しい仕事を抱えていて、同僚の3人の医師も同時に糖尿病を発症したのです。

 担当医師に治療法を聞くと「食事と運動」と「薬」があるとのこと。薬を飲むのはなんとなく嫌だし、糖尿病についていろいろ勉強して生活習慣病の予防を説いていた疫学部長としては、「薬」なしの「食事と運動」だけでどこまで克服できるのか、実証したいとの考えもありました。それで担当医師に「食事と運動で治す」と宣言したのです。

 まず、毎日を規則正しい生活に改めました。

 それまでは仕事の関係で生活のリズムはもちろん、食事の時間も不規則でした。夕食は病院周辺で食べ、家に帰っても残っている夕食を食べることもしばしばありました。飲む機会も多くがんセンターがあった築地にはなじみの店がたくさんありました。とくにセンター前のステーキ屋は週5回通い、同じような生活をしていた同僚の医師は相次いで60代で心筋梗塞などで亡くなりました。

 食事は1日3回(朝6時、昼12時、18時)として、習慣だった10時、15時のお茶とお菓子はやめました。夜遅くまで起きているとお腹がすくので21時には就寝することにしました。

 私の場合は明らかに食べすぎでしたので、医師と相談して1日の摂取カロリーを1600キロカロリーに決めました。

 食卓にはデジタル秤を置き、口に入るモノは全て秤ではかり、ノートに記録してから食べることにしました。夜はそれをまとめて、「食品交換表」の簡易表をもとにして1日の摂取量を炭水化物、タンパク質、脂肪に分けて計算し、脂肪は20%以下としたのです。

 当時の一日の食事は朝がご飯を軽く1杯と味噌汁、納豆、きんぴらごぼう。昼の弁当は玄米、果物、焼き魚に野菜。夜はご飯1杯に豚生姜焼き、豆腐、野菜などです。

■15分以上かけて噛んで空腹感を克服

 今までと比べて食事量はかなり少ないので当然お腹がすきます。そこで食欲に勝つために実行したのは、よく噛むことです。

 人間の食欲は脳の食欲中枢がコントロールしています。満腹を感じるには脳の満腹中枢の神経細胞と血中のタンパク質の一部が結合しなければなりません。腸で吸収されたものが脳に届くには食べ始めから15分ほどかかります。ですので食事時間を15分以上かけてシッカリ噛むようにしました。すると1カ月ほどで空腹感を感じなくなりました。筋肉を合成するため、脂肪は20%取ることにしました。1日1600キロカロリーだと320キロカロリー分、つまり35グラムの脂肪の摂取を目指しました。

 私は、ステーキや脂身など、脂肪とみえるものは一切口にしませんでした。食品中にもともと脂肪がふくまれているからです。

 例えば大豆の脂肪の大半はそのまま豆腐の中に残っています。つまり、水分を除いた豆腐の重量の20%くらいは脂肪なのです。マヨネーズには結構脂がふくまれているのでノンオイルタイプのドレッシングなどに変えました。

 ケーキやクッキーにも油脂が多く使われているので避けました。

 外食は思い切って半分残すことにしました。戦後の食糧難時代を考えれば非常にもったいない話ですが、仕方ありません。周りの人と食事しながらもゆっくり食べるためにはその方がいいのです。

 今はレストランなどではカロリー表示をしてくれています。それを目安にするといいでしょう。

 注意したいのは果物です。最近の果物はどんどん甘くなっているので気をつけなければなりません。また、「甘いものは厳禁」という人がいますが、それを我慢することのストレスを考えると和菓子のまんじゅうや羊羹は1日1個くらいは小さいものを食べてもよいのではないか、と思います。

 運動については、まず、通勤に車を使うのをやめ、徒歩と電車に変えました。歩数はとりあえず1日1万歩を目標にしました。通勤と昼の魚河岸での散歩でそのくらいになるからです。エレベーターやエスカレーターは一切使わず階段を上り下りしました。さらに週3回仕事帰りに区民に開放されている小学校のプールで1~2時間ほど泳ぎました。

自分の血糖値をたえずモニタリング
自分の血糖値をたえずモニタリング
ヘモグロビンA1cは9カ月で12.8%から5.9%に

 食事と運動により安全に血糖値をコントロールするには、常に自分の血糖値の変化を知ることが大切です。そのため、簡易血糖値測定器を利用しました。指先から血液をほんの1滴採取し、それを手のひらサイズの小さな測定器で読み取ります。すると、30秒ほどで血糖値が表示されます。今は、2週間ほど腕に貼り付けただけで連続して血糖値を計測してくれる便利な測定器があります。

 最初のうちは、運動後、運動中、食前、食後1時間、2時間、3時間、寝る前や起き抜けなどひたすら測って血糖値がどう変わるのかを見ました。それでわかったのは、運動の種類と程度で血糖値は大きく変わるということです。

 例えば、私の場合は食べ始めて30分くらい、モノによっては1時間後くらいに血糖値がピークを迎え、250~300ミリグラムになりました。しかし、運動をすると50~100ミリグラム程度は簡単に下がることがわかったのです。面白いことに血糖値が上がりにくいとされるGI(グリセミックインデックス)値の低い食べ物でも、消化吸収に時間がかかるため食後2時間、3時間後までの血糖値は低いが、5時間後、6時間後は高くなるものもありました。

 また運動は、夕食2時間後の午後8時ごろの血糖値が200ミリグラムを超えることがしばしばあることがわかり、その時間帯に散歩をしたり、室内用の自転車(エルゴメーター)を30分ほどこぐようにしました。また、激しい運動をすればするほど血糖値を下げると思いがちですが、これは間違いです。私はマラソンやトライアスロンに挑戦しましたが、そのときの血糖値は高くなりました。考えれば当たり前で、運動が始まると、細胞はエネルギーとして血糖を必要とするために、肝臓に貯蓄していたグリコーゲンを分解してブドウ糖として血液中に放出するからです。筋肉に蓄えられたグリコーゲンは数分で消費されてしまいますが、肝臓のグリコーゲンはなかなか消費されないため、激しい運動をすると逆に血糖値は上がってしまうのです。

 いろいろなパターンの血糖値を測った結果、食前の運動よりも食後の、しかも30分後から散歩程度の運動をするだけでも十分血糖値が下がることがわかりました。それが私の体験からの結論でした。

■HbA1cは9カ月で12.8%から5.9%に

 こうした努力の甲斐あって1~2カ月後には早朝空腹時血糖値は110㎎/デシリットルまで下がり、3カ月後にはHbA1cは9.6%まで下がったのです。

 それから次の3カ月後には7.8%に、さらに次の3カ月目には5.9%となって「食事と運動」による糖尿病治療を始めて9カ月目にしてついに6%を切ることができました。糖尿病の合併症の発症リスクは9%から急に高まること、6%台ではそのリスクはほとんどないことを考えると、私は9カ月で糖尿病を克服したということになるのです。

 体重も1年間で13キロの減量となり、高血圧症、高脂血症、脂肪肝も吹き飛びました。 

 むろん、これは今から30年近く前の経験です。その後、さまざまな研究結果が出て、糖尿病を治すためにより効率的な方法や器具が出てきているでしょう。当時の私のやり方とは異なる部分もあるとは思います。しかし、自分の血糖値をたえずモニタリングしながら、食事や運動で血糖コントロールを行う。そうすれば糖尿病によっては良くなるし、寛解することも可能です。糖尿病克服のカギは、ようは患者さんがやる気をもって、科学的に糖尿病と対峙することだろうと思います。一病息災の生き方です。

▽渡邊昌(わたなべ・しょう) 一般社団法人メディカルライス協会理事長。慶応義塾大学医学部卒。大学院修了後、米国国立がん研究所病理部研究員、国立がんセンター(現国立がん研究センター)研究所疫学部長、東京農業大学栄養科学科教授、国立健康・栄養研究所理事長を歴任。

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