上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

人工弁を交換する高齢者の再手術では高い技術が求められる

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 心臓弁膜症の初回の手術で人工弁を使った弁置換術などを行った場合、高齢になってから「縫合不全」のトラブルが起こり、再手術が必要になるケースがあります。人工弁の経年劣化や、縫合部に使った組織の動脈硬化によって石灰化が進行し、植え付けた人工弁が徐々に外れてきてしまいます。生体組織が人工物を排除しようとするためです。

 縫合不全が生じて逆流などのトラブルが起こっている場合、再手術が必要です。傷んだ人工弁を取り除き、生体組織の悪くなっている部分をきれいに切除して、再び人工弁を設置します。患者さんが高齢になって体力が衰えていたり、全身状態が悪い状況での手術が増えるため、初回手術に比べてリスクがアップするのはこれまでお話しした通りです。

 縫合不全のほかにも、人工弁の再手術を実施しなければならないケースがあります。縫合には問題がなくても、人工弁そのものが急激に劣化してしまったり、設置した人工弁の下の部分に「パンヌス」と呼ばれる新しい組織が過剰に増殖し、弁の「機能不全」が起こった場合です。パンヌスは人工弁の周囲に生じる組織の増殖で、人工弁を固定するためには必要です。しかし、過剰に増殖すると弁の開閉が制限されてしまったり、弁の下部が狭窄して血流を障害する原因になります。

 そうした機能不全が起こったケースでは、縫い付けてある人工弁を取り外し、パンヌスを切除してから人工弁を交換する再手術を行います。その際、手荒に処置を進めると、心臓の壁など人工弁を縫い付けた部分に穴を開けたり、パンヌスを取り除く際に臓器を傷つけてしまうリスクがあります。これらをトラブルなく処置するためには、経験や職人芸的な技術が必要になるので、難度が高い手術といえるでしょう。

 この再手術を手掛ける外科医は多くいますが、リスクを回避するために処置が不十分なまま終わらせているケースも少なくありません。そうなると、再手術が終わってから早い段階で再々手術が必要な状況になりかねません。

 1990年に66歳で他界した私の父親は、心臓弁膜症で79年に僧帽弁置換術を受けた後、87年には機械弁に交換する再手術を受けました。しかし機械弁の適合性が悪く、縫合不全を起こして3年後には3度目の手術が必要になり、懸命な処置もむなしくそのまま亡くなりました。早い段階での再々手術はリスクが高いのです。

■やるべき処置が増えて手術時間も長くなる

 ただでさえ、人工弁を再び交換するなどの再手術は、難度がアップします。仮に心臓手術が難度が低い順に1段階、2段階、3段階とあったとします。本来であれば2段階くらいの手術で済ませられるのに、いちばん難しい3段階目の手術が必要になるケースも少なくありません。

 たとえば、人工弁を設置している部分に細菌感染が起こり、弁の交換を行うとなった場合、人工弁を外してから、汚染された生体組織をきれいに取り除いたうえで、新たな人工弁を設置しなければなりません。正常な組織に設置しないと、人工弁が生体から排除されてトラブルを起こす原因になるからです。

 そのため、悪くなっている生体組織は徹底的に切除するのですが、当初の想定よりも取り除かなければならない箇所が多くなり、本来なら使える部分まで切除せざるを得なくなるケースがあります。その場合、切除したところに、ほかの悪くなっていない部分の組織を補填し、再び使える状態にしてから処置を進めていきます。通常であれば必要ない“手間”が二重、三重に増える場面が多いのです。

 こうした事態は、手術前の検査で予想できるものもありますが、事前にははっきり分からず、いざ手術してみたら……というケースも少なくありません。それだけ外科医の経験や力量が求められます。

 このように、行うべき処置が増える分、人工心肺装置をつなげて心臓を止めている時間も、手術そのものの時間も長くなるので、患者さんの負担は大きくなります。切除する箇所が多くなれば、それだけ出血のリスクも高くなります。もしも出血が起こったら、また新たな対処が必要です。

 また、心筋保護が不十分になるリスクもアップします。一時的に心臓を停止させて行う手術では、心筋保護液という特殊な液体を心筋に注入して心筋を保護する処置が欠かせません。心筋保護が不十分だと心筋細胞が障害され、術後に血流を再開しても心臓の収縮が不良で心機能が戻らなくなってしまうのです。そのため、手術中にはより慎重な心筋保護を実施しなければならないうえ、術後の循環管理や輸血管理など、初回の手術に比べて濃厚な処置が必要になる場合もあります。

 ほかにも、弁を交換する再手術で高い技術が求められるケースがあります。初回の手術で生体弁を設置して、縫合は緩むことなくしっかり生体弁は固定されているのに、生体弁の中身の部分だけが劣化してしまい、再手術で交換が必要になる場合です。こうした状態では、生体弁が設置されている周囲の生体組織がダメージを受けていることが多いので、古い生体弁を取り外す際の技術的な難度が高くなるのです。

 人工弁の再手術のリスクをなるべく低くするためには、初回手術での不十分な処置を減らす外科医の努力が必要といえるでしょう。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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