独白 愉快な“病人”たち

教授に引き留められ命拾い 西城秀樹さん語る2回目の脳梗塞

自宅ではストレッチとボイストレーニングを欠かさない
自宅ではストレッチとボイストレーニングを欠かさない(C)日刊ゲンダイ

 最初の脳梗塞は2003年。韓国でコンサートをしていた時でした。どうにも疲れがとれず、口元が下がっていた。帰国後にかかりつけ医に診てもらって、脳梗塞だとわかったんです。大きく報道されたから驚かれてしまったけど、入院も1週間ほどで、すぐ仕事に戻りました。以来、禁煙しましたが、この最初の脳梗塞は“生活改善の気づき”を与えてくれた程度の軽い症状でした。

 問題は2回目の脳梗塞です。11年の12月、朝、自宅で寝室のある2階から1階に下りようとしたら足先がもつれて階段から転げ落ちた。その日はリハーサルも問題なくこなしたけれど、ろれつもおかしいというので、仕事を終えてからかかりつけの病院に行ったのです。

 MRI検査は問題なし。帰ろうとした時、この病院の教授である先生に会った。僕の顔を一目見て、「もう一度くまなく検査を」と言われ、その日一晩入院することに。

 先生の目は正しく、脳梗塞は夜のうちに進行し、翌朝、目が覚めると右半身が動かなくなっていた。対応が早かったのは不幸中の幸い。仕事場で倒れて周りに迷惑をかけずに済みました。入院して5日ほどの間に梗塞は急激に悪化。血液をサラサラにする点滴をしていても、右半身が動かず、ろれつが回らなくなった。

「ラクナ梗塞」という末端の梗塞で運動神経をつかさどる部分に障害が起きたのです。入院中は動けず、テレビを見るくらいで、何も覚えてなかったですね。

 脳梗塞は発症してしまったら一日でも早くリハビリを始めることが必要だそうで、1週間ほどで「リハビリ専門病院」に転院。そこでの1カ月で日常生活をこなせるまでに回復しました。

 とはいえ、僕の目指すところは「今まで通り、年間70本のステージをこなすこと」。そこで次はプロレスラーやアスリートが通う、「リハビリトレーニング施設」に2日に1度、通い始めました。今もプールでウオーキングなどさまざまなトレーニングメニューをこなしています。さらに自宅では、毎朝9時から2時間ストレッチ。さらにボイストレーニング40分を自らに課しています。

 一度、筋肉が硬直すると、ストレッチは本当に痛いんですよ。「勘弁してください!」って悲鳴を上げるほど。天気が悪いと余計に調子が悪い。けどね、絶対休まない。大事なのは毎日続けること。自覚はないけど、久しぶりに会う人たちは僕の回復ぶりに驚きますね。脳梗塞でもやるしかない。小学生と中学生の子供3人がいますから。それに尽きます。

■歌より日常会話のほうが難しい

 歌に関しても、声量も変わらないし、歌詞は音符があるから発声に問題ありません。ボイストレーニングも心得ていますし。逆に、日常会話のほうが難しい。頭で考えて言葉を発するまでに時間差を感じることもあります。

 不便なことはないといえばない、あるといえば全部かな。発症前と変わらない生活をすること自体がリハビリだと僕は思っています。着るものも変えないし、家も改造はしません。子供の保護者参観は必ず行くし、家族とディズニーランドも行きますよ。娘の服は僕が選んで買う。

 息子のサッカーに付き合って外に出る、サッカー観戦も行く。ファンから声をかけられることもありますが、今の姿を見られても全然気にしません。等身大の僕でいいんです。

 病気をきっかけに、リハビリにも使えるウオーキングシューズを監修しています。経験者にしかわからない、軽さ、履きやすさ、楽しい色にこだわり、9月には第2弾も出ます。

 知らなかった世界も広がりましたし、ヒデキ還暦! これからも歌い続けていきます。

▽さいじょう・ひでき 1955年、広島県生まれ。還暦記念アルバム「心響―KODOU」をリリース。今月15日にDVD「西城秀樹還暦記念企画 ブロウアップ ヒデキ」(松竹)が発売。4月から入間市に「西城秀樹市民農園」を開園、順次全国で展開予定。

関連記事