独白 愉快な“病人”たち

ダイアモンド☆ユカイ語る 精子ゼロからの“男の妊活”秘話

「恥ずかしがらずに男性も検査を」と語る
「恥ずかしがらずに男性も検査を」と語る/(C)日刊ゲンダイ

「あなたは男じゃありません」

 そう言われたような気がしました。40代半ばのその瞬間までロックンロールで突き進んできた自分にとって、「無精子症」はまさに青天の霹靂……並のショックではありませんでした。それと同時に「あれ? 昔、彼女に妊娠したって言われたことあったけどウソか」とか、「じゃ、今まで避妊する必要なかったじゃん」などと過去が走馬灯のようによみがえって、ちょっと不謹慎なことも考えました(笑い)。

■検査結果に大ショック「3日間ほど口がきけませんでした」

 事の始まりは、高齢を心配した妻の検査に付き添ってクリニックへ行ったときです。「奥さまは年齢より若いくらい健康で問題ない」と診断した先生が、次に発した言葉が「よかったらダンナさんも調べてみませんか?」でした。

 それでまあ、過去の“武勇伝”もありますし、軽い気持ちで検査を受けることにしたんです。血液検査や尿検査のほか、アダルトなビデオが見られる個室があって……(笑い)。で、もうその日その場ですぐに結果が出て、「精子はゼロでした」と告げられました。

 そこからは何というか、3日間ほど口がきけませんでした。「どうせ俺なんか」と思っては、妻に申し訳ないと落ち込んで……。しまいには、「別の人と結婚した方がいいんじゃないか」と思って、妻にそう切り出したこともありました。

 すると妻は、「ユカイさんが子供みたいな人だから大丈夫。一緒に生きていきましょう」と言うわけです。ありがたいですよね。でも、当時の自分は「おまえに何がわかる」と内心ひねくれていました。

 でも、ボーッとする日々の中、無精子症のことをネットで調べてみると、子供を授かる可能性があることがわかりました。ただし、治療費は全額自己負担だし、失敗する確率が高い。しかも男性不妊の手術は、「睾丸にメスを入れ精巣から精子を取り出す」という世にも恐ろしいものでした。でも、挑戦するしかないと思いました。実際は、局部に麻酔するときだけが恐怖で、あとは麻酔で痛みを感じることもなく、想像していたほどではありませんでした。

■「ダメでもともと」で挑んだ最後の挑戦

 大変なのは女性の方です。自分の男性不妊のために健康体の妻もつらい治療を始めました。取り出した精子を体外で受精させ子宮に戻した時点で、妊娠してお腹に赤ちゃんがいる感覚になるそうで、その分、失敗したときの精神的、肉体的なショックは男性と比べようもないほど大きい。自分たちは2度挑戦し、2度失敗に終わりました。

 その頃は、人生が不妊治療一色に染まってしまって、妻との関係もギスギスし、つまらないことでケンカになり離婚の危機もありました。

 ただ、それもこれも自分のせいだと考えました。「身体的にも精神的にもボロボロになりながら、俺の子供を授かろうとしてくれる。こんなに俺を思ってくれる人はいない」と思ったら、不妊治療に振り回される人生が何なのか意味がわからなくなった。「人生が不妊治療じゃつまらない。2人の生活を楽しもうよ」と2人で今後の生き方を話し合い、ゆっくり和やかな日々を取り戻していきました。

 でも、あるとき妻から「最後にもう一度だけ挑戦させてもらえませんか」と相談がありました。「今度は、男性不妊の第一人者のいる病院で」と、先生を探して北九州まで行きました。

 これでダメなら諦めがつくということで旅行がてらの不妊治療でした。ダメでもともと、そんなリラックスムードもよかったのか、ありがたいことに子供を授かることができました。先生に「おめでとうございます」と言われたときは、一気に別次元に連れていかれたようなうれしさでした。

 ただ、それからも困難は続きました。妻は妊娠中毒症になって入院し、臨月になってからは妻の命が危ないということで、帝王切開での出産になりました。しかも、子供は今はとても活発な女の子ですけど、生まれた当時は心臓に問題がありました。「自然に治るかどうか2歳になるまでわからない」と言われ、ずいぶん心配しました。

 そんなに大変な思いをしたのに、妻は「彼女に兄弟をつくってあげたい」と言い出し、後に双子の男の子が生まれました。そのときも入院の末の帝王切開です。女性は本当に凄いと思いました。

 ずっと妊活は女性のものと思われてきましたが、実際は半分ぐらい男性にも問題があるようです。自分の場合は、子供の頃に手術をした鼠経ヘルニアが原因じゃないかとのことでした。共働きが普通になった今、妊活は夫婦2人の“意志”が不可欠です。まずは恥ずかしがらずに男性も検査を受けて欲しいと思います。そして、精子が精巣で作られていない場合もあるので一概には言えませんが、無精子症でも子供を授かれる可能性はあります。トライして欲しい。それが自分が伝えたいことです。

▽だいあもんど・ゆかい 1962年、東京都生まれ。86年、ロックバンド「REDWARRIORS」のボーカルとしてデビュー。解散後のソロ活動では音楽を中心に、映画、舞台、バラエティー番組などにも出演している。

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