独白 愉快な“病人”たち

声帯を削った昆夏美さん「新しい喉で新たな可能性を」

昆夏美さん
昆夏美さん(C)日刊ゲンダイ

 削ったのは0.1ミリと0.05ミリという半紙よりも薄い粘膜の表皮です。たったそれだけでも「声帯結節」の手術は全身麻酔でした。

 この病気は、声帯にできた“ペンだこ”のようなもの。声を出すときに振動する左右の声帯膜がぶ厚く硬い組織になってしまうことでうまく声が出せなくなる病気です。 2016年10月、私はこの病気で出演するはずだった「ミス・サイゴン」の舞台を休演してしまい、プロとしての責任を果たせませんでした。

 代わりを務めてくれたお二人(トリプルキャストだったため)はもちろん、スタッフ、キャスト、何より期待してくださっていたお客さまを裏切ってしまったことへの申し訳なさでいっぱいでした。それと同時に、自分の一番イヤな部分を自覚した経験でもありました。

 異変は、そのひとつ前の6月の舞台から始まっていました。初日から2日目の朝、突然、声がカスカスになってしまったのです。ハスキーを通り越したあまりの声の出なささに衝撃を感じました。というのも、これまで風邪以外で喉の不調を感じたことはなかったからです。お酒を飲んだ翌朝でさえ、ガサつきひとつなく“私は人一倍喉が強いんだ”と自負していました。

 慌てて有名な喉の病院に行くと、「声帯結節です」と告げられました。それでも、点滴と薬と吸入で1カ月の公演は乗り切りました。

 翌月は丸々お休みだったので、その間に病院と薬と吸入と筆談の日々で声を戻し、8月から「ミス・サイゴン」の稽古に入りました。でも、従来のようには歌えなかったんです。

 それなりに声は出るものの、一本線を描くような真っすぐな声が出ないのです。それでも稽古を続けていると、ある時「まずい!」と直感した日がありました。「これ以上、一音でも出したら声が飛ぶ」という感じです。翌日、病院を替えて受診したところ、「こんな喉で歌なんて歌えない」と即刻ドクターストップがかかりました。

 結局、本番を目の前にして休演が決定。でも完全な降板ではなく、「12月公演から復帰すればいいね」と制作の方が言ってくださったので、私はそれを唯一の励みに治療に入りました。

 外出は一切せず、ひたすら病院と薬と筆談で養生しました。でも、2週間目に喉を診てもらっても回復が見られず「手術しかありません」と言われてしまいました。手術をしたら12月復帰は無理。それはまさに“絶望”でした。

 念のため、元の病院にも行きましたが、結果は同じ。ただ手術後の対処が大きく違ったんです。片方は術後3週間は絶対沈黙。もう片方は絶対沈黙は3日間だけで3週間後には歌い始めていいというものでした。

 後者の病院を選んだ結果、1月にギリギリ滑り込みで最後の2日間だけ「ミス・サイゴン」の舞台に上がれました。それは感動というよりも“ひとつの山を乗り越えられた”という自信になった気がします。

 術後、3日間の絶対沈黙の後、「声を出していいのは1日5分だけ」という期間が1週間あり、2週目は「1日1時間以内まで」に延びました。3週目からは制限がなくなって歌い始めましたが、舞台で歌う声になるまでは、地道な発声練習が続きました。声を使わなかったことで、喉の筋肉がすっかり衰えていたからです。

 実は今も従来の声ではありません。でも、それは仕方がないこと。私の喉は手術で削られ、今までのそれとは変わったのです。例えるなら、生後まだ11カ月の赤ちゃん。今は元の声を取り戻すのではなく、新しい喉で新たな可能性を広げていこうと思っています。

 病気を通して学んだことは“マインドコントロール”です。マイナスなことが起こっても、気持ちをプラスに持っていくことが少しできるようになりました。

 舞台を休演したときは出ている人が羨ましくて、悔しくて、ねたましくてどうしようもありませんでした。優しい励ましの言葉に苛立ってSNSも遮断して、自分の殻に閉じこもってばかり。そんな自分に嫌気がさす……という悪循環。特にひどかったのは、手術を決めるために悩んだ1週間です。人生で一番嫌な自分を味わいました。

 そのとき思ったんです。“自分が上を向かなきゃ何も変わらないんだ”ということを。「喉が強い」と自信過剰になっていた自分も反省して、人並みに喉のケアをするようになりました。以前は、パワーと気合だけでしたからね(笑い)。今は舞台がコンディションのピークになるように心がけています。

▽こん・なつみ 1991年東京都生まれ。音楽大学在学中にミュージカル「ロミオ&ジュリエット」のジュリエット役でプロデビュー。その後も「ハムレット」「レ・ミゼラブル」など数々の大作にヒロイン役で出演、若手実力派として活躍している。現在、舞台「アダムス・ファミリー」にウェンズデー役で出演中(KAAT神奈川芸術劇場ほか各地で12月まで)。

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