独白 愉快な“病人”たち

悪性リンパ腫と闘う垣原賢人さん「怖くて仕方がなかった」

垣原賢人さん
垣原賢人さん(C)日刊ゲンダイ

「もう仕事ができなくなるのではないか」

 2015年、43歳の時に「悪性リンパ腫」の告知を受けて、まず最初にそんな不安が頭をよぎりました。

 以前から、そけい部やわきに複数のしこりができていることは認識していました。

 告知を受ける直前には、わきのしこりがゴルフボール大くらいまで肥大していて、アームカールというわきを絞って行う腕のトレーニングをすると、“何か挟んでいる”という感覚がずっとあったんです。「何か嫌だな」と気になってはいたのですが、仕事の予定が詰まっていたので、病院に行くことを先送りにしていました。

 思い返せば、しこり以外にも、疲れやすくなったなと感じていました。当時、中学生の息子と昆虫の調査で山登りに行くと、思うように体が動かなかったり、それまで登山で息子に置いていかれることはなかったのに、体力で逆転されることがあったのです。

 14年の年末になって仕事が一段落したので、ようやく町のクリニックを受診しました。すると「こんなに大きなしこりは見たことがない」と驚かれ、すぐに大学病院を紹介されました。

 大学病院で採血とリンパ生検を受けました。その翌週に診断が確定するとのことで、妻と一緒に聞きにいったところ、医師から「悪性リンパ腫、いわば血液のがん」だと告げられたのです。しかも、「ステージ4で完治はなかなか見込めない」とも知らされました。

 ちょうどその半年ぐらい前に、高倉健さんが悪性リンパ腫で亡くなっていたので、「大変な病気にかかっちゃった」と思いました。

 すぐに入院となり早速、抗がん剤治療を始めました。

「濾胞性リンパ腫」という年単位でゆっくり進行するタイプで、しつこくて再発率が高く、なかなか完治は見込めないといった話をあらためて説明されました。

 ですから、入院生活は先が見えない、えたいの知れない“恐怖”との闘いでした。とにかく怖くて仕方がなかった。周りのベッドで寝ている他の患者さんがカーテン越しにのたうち回っていたり、いつの間にかいなくなったりすることもありました。

 夜、寝付くこともできなくて、看護師さんに睡眠導入剤を勧められたこともあります。明るい未来が見えず、目をつぶって寝てしまえば、もう二度と起きられないのではないかという不安にも襲われました。

 良いのか悪いのか、今はネット社会で病気についていろいろと調べられますよね? 

 自分も必死に検索したのですが、どれだけ調べても心が重くなるばかり……余計に考え込んでしまいました。このままではしんどくなる一方だから、もう調べるのはきっぱりやめて医師を信頼してすべて任せようと決めたのです。

 それでも、抗がん剤の副作用にはいろいろと悩まされました。女性と違って身なりに関してはどうでもよかったですし、もともと髪の毛もないので気にはなりませんでした(笑い)。

 ただ、“下の毛”も抜けるという体験をして、かなり驚きました。

 それに、抗がん剤治療中は免疫力が低下するのです。菌やウイルスなどをもらって、体調を崩すわけにはいきません。1クール目を終えたところで退院し、それ以降は通院していたので、やむなく電車に乗らなければならない時は、人混みで緊張しました。厳重にマスクを着用して、手洗いやうがいも欠かさず入念に対策しました。

■細胞の一つ一つが限界を超えた気がした

 予定では、そんな抗がん剤治療を8クール行うはずでした。でも、6クールを終えたところで抗がん剤治療の中止をお願いすることにしました。

 それまでプロレスで厳しい練習を重ねてきたので、副作用の症状には耐えられたと思います。しかし、もうそれ以上の抗がん剤治療は、体が受け付けないと感じました。他の臓器が悲鳴を上げているというか、6クールに及ぶ抗がん剤治療で、細胞の一つ一つが限界を超えた気がしたのです。

 中止したいという意志も強く、気持ちにも拒否反応が出てしまったので、医師に「もうやめたい」と申し出ました。ただ、全幅の信頼を寄せていた医師から説得され、それ以降は分子標的薬を4クール、合計で1年半の治療をしました。

 その後は、肺炎になりかけてヒヤッとすることはありました。でも、今は定期検診のみで比較的順調に推移しています。

 まだ闘病中とはいえ、去年はリングに復帰することもできました。

 お世話になった藤原(喜明)組長とスパーリングマッチを行えるまでに回復したので、これからも元気な姿を見せて、同じ病で苦しむ方々に力を与えることができればいいなと思っています。

▽かきはら・まさひと 1972年、愛媛県生まれ。89年に新生UWFに入門し、90年にデビュー。団体分裂後はUWFインターナショナルに所属し、以降は数々の団体を渡り歩いて活躍した。06年に頚椎損傷により現役引退を発表。その後は「ミヤマ☆仮面」としてキャンピングカーで全国を回ってイベントをプロデュースしている。また、15年から同じ病で苦しむ患者を応援するためのイベントをスタートさせ、今年は8月14日に「カッキーライド2018」(東京・後楽園ホール)を開催する。

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