後悔しない認知症

感情的な叱責はもってのほか 大切なのは認知症の親への敬意

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

「なんか親が子どもに戻っているような気がする」

 認知症あるいは軽度認知障害(MCI)と診断された親に対して、子どもはそう感じることがある。物事の理解力が低下したり、言われたことを忘れてしまったり、わがままを言ったり、感情をコントロールできなくなったりする。たしかに幼児的な特徴と似た症状が表れることは事実だ。

 しかし、医学的に考えると「子どもがえり」という表現は当たらない。幼児の場合、そうした言動は、脳の成長が不十分であるために生じているのに対して、認知症あるいは軽度認知障害の高齢者の場合、成長を終えてしまった脳が劣化し始めたことによって生じている。親の脳が子どもの脳に戻っているわけではないのだ。さらに、認知症だからといって、これまで培った知識、知性が脳から完全に失われていくわけではない。だから、認知症と診断された親を幼児語などで「子ども扱い」するのは大きな間違いなのである。

 本当の子どもへの「子ども扱い」はいとおしむ思いが込められているが、親に対する「子ども扱い」は侮蔑とまではいわないが、敬意を欠いた接し方だと心得ておくべきだ。

 脳の機能が低下しているわけだから、物事を理解してもらうために平易で噛んで含めるような物言いをすることは必要だが、敬意を欠いた接し方は慎まなくてはならない。さもないと、認知症の親のプライドを傷つける。これは「認知症の親に機嫌よく生きてもらう」という介護の原則に反する行為となるのである。

 なかには感情的になって子どもを叱責するような言動で接する子どももいるが、これは禁物だ。

■「子ども扱い」は親を傷つける

 英会話が堪能な人は認知症になっても意外にその能力は保たれるし、お年寄りは子どもが読めないような難解な漢字もスラスラ読める。記憶が欠損したり、新しい情報の理解、ITなどの新しいテクノロジーの習得ができなくなったとしても、脳の残存能力はあるレベルで維持されている。そんな親を「子ども扱い」するのは親を傷つけることになる。

 認知症の親を持つ知人は「何回教えても、シートベルトを忘れてしまう」とこぼしていた。気分転換をさせようと親をドライブに連れ出すのだが、パーキングエリアでの休憩のたびにシートベルトの着脱を教えなくてはならないという。けれども、ドアの開け閉めはできる。それも力いっぱいドアを閉めるという。

 このエピソードから認知症の脳の変化の特徴が読み取れる。最近のクルマは軽い力でドアはきちんと閉まるが、昔のクルマはそうではなかった。力いっぱい閉めないと半ドアになりやすかった。シートベルトもなかった。つまり、脳のなかでは「シートベルトを着用しなければならない」という新しい記憶は欠けてしまったが、「半ドアに注意」という古い記憶は残存しているということだ。

 認知症の親にとって新しい情報の定着は簡単なことではないことを子どもは忘れてはならない。定着させるためには「優しく、易しく、丁寧に、辛抱強く」伝えなければならない。新しく覚えてほしいことをメモに書いてあげて繰り返し読んでもらうのもいいだろう。反復や文字による新しい情報の入力が脳の老化を遅らせることにもなる。認知症の親は幼児ではない。どんなに衰えても、人生の先輩として敬意をもって接することが大切だ。

和田秀樹

和田秀樹

1960年大阪生まれ。精神科医。国際医療福祉大学心理学科教授。医師、評論家としてのテレビ出演、著作も多い。最新刊「先生! 親がボケたみたいなんですけど…… 」(祥伝社)が大きな話題となっている。

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