染色体の遺伝子を調べて病気のリスクや体質を判定する遺伝子検査が広まってきました。中でも、検査情報をもとにがんの診断や治療を行う「がんゲノム医療」は、国レベルで推進されています。
心臓疾患の領域では、マルファン症候群などの優性遺伝病(両親から1つずつ伝わる遺伝子対のうち、どちらか一方の遺伝子に異常があれば発症する病気)が対象になっているくらいで、まだ研究段階といった状況です。しかし、これからの医療を考えるうえで、ゲノム医療は避けて通ることはできません。
当院でも、昨年4月からゲノムの専門家を招き、本格的な遺伝子検査外来に力を入れています。現在、がんゲノム医療の中核拠点病院は全国で11施設ありますが、今年度から拠点病院として新たに30施設ほど拡充されることになりました。今春にも、がんゲノム医療に必要な遺伝子検査が保険適用されるため、検査を受ける人が大幅に増えることを見越した動きです。当院も手を挙げています。
現時点でのがんゲノム医療は、がん患者の遺伝子を分析して適切な治療薬の選択に役立てるのが主な目的です。抗がん剤治療では、ある臓器に対して抗がん剤が効く人と効かない人がいます。かつては、患者さんがどちらに該当するのか投与してみないとわからないケースがほとんどでした。それが、ゲノムを調べることで明らかに効く人がスクリーニングできるようになったのです。
超高額な抗がん剤でも患者さんを助けるために適切に使うことができるようになり、医療費はかさんだとしても治療の有効性が示せるという意味では、ゲノム医療には大きな意義があるといえます。ただ一方で、残念ながら明らかに抗がん剤が効かない人もわかってしまいます。
たとえば乳がんでは、ホルモン治療に有効な2つの受容体と、分子標的薬に有効なHER2遺伝子がない「トリプルネガティブ」といわれるタイプがあります。従来の抗がん剤も効果がなく、早期に緩和医療になってしまうケースも少なくありません。ゲノムを調べることで他のがんでも同じように手だてがないことがはっきりしてしまい、患者さんにとって希望がない状況を生み出してしまう可能性があるのです。
そうなると、今後は病気になる前の段階で遺伝子検査を受け、がんリスクが高い場合は対象となる臓器を摘出するといった対処法を考える時代になってくるかもしれません。乳がんリスクが高いことがわかって乳房を切除したハリウッド女優のアンジェリーナ・ジョリーさんのようなケースが広まることが考えられます。
■医療の公平性を保つための議論は欠かせない
また、がんゲノム医療によって抗がん剤が効く人と効かない人がはっきり判定できるようになると、「医療の公平性」が保たれなくなってしまうのではないかという危惧も出てきます。
いまは日本人の2人に1人は一生涯のうちに何らかのがんにかかる時代です。がんは避けられない病気であるからこそ、公平性が大切になってきます。がんをリーズナブルな治療法で制圧できれば問題ありません。しかし、超高額な特殊な治療でなければ病気を管理できないとなると、たとえばリーズナブルな一般的治療よりも個人の負担を重くするなど、新たな対策を考えていくべきという意見もあります。
ゲノム医療によって、最初の段階から高額な薬が効く人と効かない人とにふるい分けられ、効く人には医療費がどんどんつぎ込まれるのに、効かない人には投入されないとなると、ゲノム医療そのものが患者差別になってしまう恐れがあるのです。
これから、ゲノム医療の研究がさらに加速するのは間違いありません。近い将来、抗がん剤だけでなく自己免疫による免疫療法やほかの疾患にまで拡大していくでしょう。だからこそ、並行して医療の公平性を保つための議論を行うなど、いまから準備をしていく必要があるのです。
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