独白 愉快な“病人”たち

宣告され頭が真っ白に…戸叶尚さん「精巣がん」を振り返る

戸叶尚さん
戸叶尚さん(C)日刊ゲンダイ

 発症したのは2006年です。横浜からオリックスに移ったあと、楽天に移籍して2年目でした。7月下旬、どうもアソコに違和感がありました。右のタマ(精巣)が腫れてきたんです。でも、「おかしいな」と思ったのはそれぐらいで、ほかに症状はありませんでした。

 ほとんどの人は腫れていても気付きにくく、かなり腫れて破裂してから慌てて病院にかかるらしいんですけど、ボクはユニホームのズボンの下にスパッツをはいて、下半身を締め付けていたので、走った時に気付きやすかったのだと思います。

 そうはいっても、まさかがんとは思わなかったから、身に覚えはなかったけど「性病かな?」と思って、チームドクターに抗生物質を処方してもらいました。でも、2、3週間飲んでも治らない。場所が場所だけに病院に行きにくくて、トレーナーに相談したら、チームのかかりつけ医院の泌尿器科を予約してくれて、すぐに病院に行くことになりました。

 病院では、血液検査、尿検査、レントゲン、CT、エコーなどの検査を受けました。先生は「精巣腫瘍の疑いがある患者がいるから」とどこかに電話しているし、「これはただごとじゃないぞ」と、夕方の人けのない病院でひとり、どんどん不安になっていきました。

 そして、その日のうちに「精巣がん」だと告げられて頭が真っ白に……。オヤジがその2年前に肝臓がんで亡くなっていたので、「オレ、死ぬの?」と思いました。病院を出て、すぐに母親と球団に連絡し、その後、岩隈(久志、現・巨人投手)と松本(輝、現・ソフトバンクホークス打撃投手)と約束していたゴルフの打ちっ放しに行きました。

 とてもひとりではいられない心境だったので……。2人に「オレ、がんだったわ」と告げたら、2人とも言葉を失っていましたね。

 一人暮らしのマンションに帰ってからは、ネットでいろいろ調べました。

 病院の先生は「転移がなければ、手術すればほぼ心配ない」と言っていたんですけど、ネットには「30%は転移のある進行性だ」と書かれていました。その30%に入る可能性だってあるわけです。

 苦しむくらいなら一気に……と、31階の部屋から飛び降りてやろうかなと考えたほどです。すぐに飛んできてくれた母親と兄貴、そばにいてくれた友達、そして、「早く練習に戻って、もう一回マウンドに立ちたい」という思いが支えになりましたね。

 治療は「手術をしなければいけない」と言われ、告知から10日後ぐらいに右のそけい部を切って、がんを発症している右の精巣を切り取る高位精巣摘除術を受けました。もともと病院にはほとんど縁がなかったので、入院も手術も初めて。

 どんな感じだろうという好奇心もあったんですけど、すぐにイヤになりました。

 早寝早起きの生活も馴染めなかったし、下半身麻酔だったので手術の様子が分かるんですよ。電気メスの焦げるにおいがして……。1時間ぐらいの手術だったんですけど、手術後はしんどいし、腰は痛いし、動けない。次の日にようやく起き上がれるようになり、歩けるようになったのは3日目ぐらいだったかな。

 何より、摘出した精巣の病理検査をしてがんの種類や進行具合、転移の結果が分かるまでの1週間が怖くて仕方がありませんでした。睡眠剤を処方してもらっても、「眠ったら、そのまま起きられなくなるんじゃないか」って悪い方向に考えて眠れず、明け方になるまで、持ち込んだPCで好きな車の動画を見て気を紛らわせていました。

 幸い結果はステージⅠで、放射線治療の効果が出やすいセミノーマ(精上皮腫)という種類でした。転移はなく、放射線治療は受けませんでしたけどね。

 2週間ぐらいで退院し、8月末には軽い練習から復帰しました。ボクが元気に戻ってきたので、チームメートには「遊びすぎだよ」とからかわれました。みんなと練習ができるのがうれしくて、復帰を目指してがんばったんですけど、残念ながらその年を最後に戦力外通告を受け、引退となってしまい悔しかったですね。

■性欲が強くなって子供ができやすくなると言われた

 手術後も1年ぐらいは通院を続け、検査を受けていました。でも、その後は行っていません。本当は行かなくてはいけないんですけど(笑い)、検査を受けたらまた何か見つかるんじゃないかと怖くて、検査を受けるとかえって気がめいるんですよ。

 体調はその後、とくに問題はないですよ。担当の先生には「性欲が強くなって子供ができやすくなる」と言われました。「体のバランスが少し悪くなる」とも言われたんですが、そんな感じはしないですね。

 精巣がんは20~30代に多いそうですけど、原因はとくに思い当たりません。自分ではストレスが悪かったのかなと思います。病気になった頃、使用されるボールが替わって握りがしっくりいかなくなり、うまく投げられなくて悩んでいたんです。

 だから、今もストレスをためないように気をつけています。現役中は自粛していたスノーボードをやったり、好きなゴルフやサーフィンを楽しんでいます。

(取材・文=中野裕子)

▽とかの・ひさし 1975年、栃木県生まれ。92年度のドラフト5位で横浜ベイスターズに入団。中継ぎや先発投手として活躍し、98年にはチームの日本一に貢献した。2000年にオリックス・ブルーウェーブ、05年に東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍し、06年オフに現役引退。野球解説者として活動したあと15年には横浜に戻り、現在は中学硬式野球チーム「世田谷南ボーイズ」のコーチなどを務める。

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