浮き沈みの激しい歌手の世界で、ファンを維持したまま、50年間も歌い続けるパワーは容易なことではない。安倍里葎子(旧芸名、安倍律子)さんもそのひとりである。
歌手活動を続けるために、まず健康管理に留意し、十分に気を使ってきた。やわな体力では、全国を駆け巡り、笑顔を振りまきながら10曲、20曲を歌うなど、とてもかなわないからである。
そのため、自宅やコンサート先のホテルでも毎日、「腹筋100回」など、体力トレーニングを欠かせない。
そしてもうひとつ。安倍さんには、年老いた母親の介護という大切な責務も背負っている。
華やかな歌手活動と、地味ながらも家族の命に関わる介護。どのようにして両立させ日常生活を送ってきたのだろうか――。
北海道札幌市に生まれ、21歳のときにデビューシングル「愛のきずな」がミリオンセラーの大ヒットになった。
レコード大賞新人賞を受賞し、その後も「愛のおもいで」「お嫁に行くなら」などのヒットを飛ばす。
こうして順風満帆な歌手活動をスタートさせると、ほどなくして、札幌から安倍さんが住む東京に祖母、母親が上京してきた。
1973年に祖母が他界するが、80年代にさしかかると、安倍さんは心が折れるような低迷時期を迎える。それでも娘思いの母親(現在、90歳)は安倍さんを励まし続け、日々食べきれないほどの料理を作り、娘の帰宅を待っていてくれたという。
そんな母親が6年前、突然、両足が不自由になるという大病に襲われる。
「あの日のことをよく覚えています。私が地方公演から帰宅した日、母親が、ソファの上で倒れていました。“何が起こったの?”“どうしたの!”と聞くと、“突然、両足が動かなくなった”と」
すぐに母親を背負って、近所の病院に向かった。
診察の結果、医師は、「両足の不自由は、原因がよく分かりません」と言う。
奇病なのか。ショックは大きかった。
しかも母親は、「もし私が倒れたら困るでしょう。いつまでも娘の世話ができるように健康体で、元気のままに老後を迎えたい」と言うのが口癖で、毎日のように自宅周辺を積極的に散歩し健康維持にはことのほか気を使っていた。
安倍さんは母親を連れて、いくつかの病院を訪ねて診察や治療を重ねた。しかし、病気の原因はついぞ分からなかった。原因が不明なら、治療の施しようがない。
「もう頭はパニック状態です。“どうして私が”“どうして母がこんなことに”と、ベッドに横たわる母を見つめながら、これから仕事を続けるには、どうしたらいいのと途方にくれました」
こう語る安倍さんは、母親のトイレ、入浴、食事、就寝という不慣れな介護に直面しながら、何度も頬を濡らしたという。
▽安倍里葎子(あべ・りつこ) 1948年、北海道札幌市生まれ。70年に「愛のきずな」でデビュー。83年、橋幸夫とのデュエット曲「今夜は離さない」が大ヒット。その後、桜木健一、松方弘樹らとデュエット曲を次々と発売し、デュエットの女王の異名を得る。
安倍里葎子「私も介護仲間です」