在宅緩和医療の第一人者が考える「理想の最期」

大切な儀式が失われる病院死 ほとんどの治療は在宅で対応できる

蘆野吉和医師
蘆野吉和医師(C)日刊ゲンダイ

 新型コロナウイルス感染症の蔓延で、死を身近に感じる人が増えている。知り合いや著名人の感染が、自らの死生観について考えるきっかけとなっているのだ。そこで思い悩みたい。もし理想の最期を迎えることができるのならば、どんな形がいいのだろうか。

 日本の少子高齢化は医療のあり方を変えている。政府は高齢者が地域で暮らし続けることができるように、在宅の医療・介護を推進。厚生労働省の患者調査の概況(2017年)によると、患者の平均在院日数も、この27年間で15~16日間も短縮された。

 医療の進歩もあるだろう。実際、以前ならば入院していた患者でも、在宅で治療や療養を続けられることになった。

「在宅医療の対象となる患者は、介護が中心の寝たきりの高齢者で医療的な処置が少ない人というイメージを持たれる方が多いように思います。実際は、点滴や人工呼吸器など医療依存度が高い方も少なくないですし、これまで病院で行われてきた治療や処置を在宅で行うこともあります。今では急性期を脱した慢性期の患者も、在宅医療で対応できるようになってきているのです」

 1980年代から在宅緩和医療に取り組んできた蘆野さんは、こう言う。

 寝たきりやがん終末期の患者だけではなく、非がんの人、痛みのために常に医療用麻薬が必要な人もオーケーだ。筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの神経難病や認知症のほか、日常的にたん吸引、酸素吸入、経管栄養などの医療的ケアが必要な人にも対応できる。重度の障害のある小児も在宅で対応できるようになってきたという。

「手術や放射線治療などの積極的な治療以外は、ほとんど在宅医療で行うことができます。病院では治癒や延命に焦点が当てられるので、患者にとって耐え難い苦痛を伴うこともあります。一方で在宅は、その人の生活や人生に焦点を当てた治療やケアを行います。優先されるのは、患者の尊厳を守ることです」

 それには家族の“介護力”も必要だが、その人が暮らしている地域で最期まで過ごすことができる支援体制も整いつつあるという。より一層の地域包括ケアの体制を構築する取り組みだ。

「私が子供の頃は、自宅で家族に囲まれて亡くなるのが一般的でした。家族や地域の人が自宅でみとるので、一緒に暮らしている子供や孫も、死に至る過程から学びを得ることができたのです」

 在宅の臨終では曖昧な時間が生まれる。家族が患者の異変に気づいて、連絡を受けた担当医が訪問し死亡確認するまでは、死亡したかどうかわからない時間が経過する。そんなどっちつかずの時間が、実は重要なのだという。

「今思い返せば、家族が死を受け入れるために必要な時が流れていたように思います。みとりを通して命の大切さを再確認する大切な儀式だったのかも知れません」

 その後は次第に病院で亡くなる人の割合が多くなり、1976年には病院死が在宅死を上回るようになった。現在では全体の8割を超えている。

「死が日常から切り離され、家族を中心とするみとりが忘れ去られてしまっているのが現状です。その結果、命の尊厳を実感する機会がなくなり、家族や地域とのつながりも希薄になっていったように思います」

 今求められているのは、誰にでも訪れる死・みとりを地域社会に戻すことだ。

(取材・文=稲川美穂子)

蘆野吉和

蘆野吉和

1978年、東北大学医学部卒。80年代から在宅緩和医療に取り組む。十和田市立中央病院院長・事業管理者、青森県立中央病院医療管理監、社会医療法人北斗地域包括ケア推進センター長、鶴岡市立荘内病院参与などを歴任し現職。

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