独白 愉快な“病人”たち

トレーニングで克服 谷隼人さん語る椎間板ヘルニアとの闘い

谷隼人さん
谷隼人さん(C)日刊ゲンダイ
谷隼人さん(俳優・タレント/74歳)=椎間板ヘルニア・座骨神経痛

 腰痛がひどくなって人生初のMRI検査を受けたのは40代半ばでした。もののみごとに腰椎の4番と5番にヘルニアが認められ、医師には「かなり悪いです。5段階でいうと4レベル。これは手術ですね」と言われてしまいました。

 でも、結局手術はしていません。今はどこにも痛みはないので手術しなくて本当によかったです。いい先生方と巡り合えたことがいい結果をもたらしたと思います。

 きっかけは、たぶん38~39歳でやってしまったギックリ腰です。21歳から通っているスポーツジムがありまして、鉄アレイでトレーニング中にふいに背後から名前を呼ばれ、反射的に振り向いたらその瞬間に腰にチリッと痛みが走ったのです。

「何だ?」と思いましたが、その日はそれだけでなんともありませんでした。ところが何日かすると、腰に張りや重さを感じるようになって、治る気配がない。そこで、同郷出身で仲良くしている新宿の整復院で診てもらったのです。

 受けた治療は低周波の電気で、気持ちがよく、腰も軽くなって良くなったように感じました。

「谷さん、腰はね、絶対手術しないほうがいい。痛くなったらウチへいらっしゃい。治してあげるから」と言われ、通うようになりました。

 当時は仕事も忙しく、ジムで体を追い込み、ゴルフやお酒も楽しむ日々。痛みは何度もあったのですが、そのたびに整復院で痛みを取る……を繰り返していました。

 でも数年が過ぎると、寒さで痛みが増し、足がしびれ出し、寝返りも困難で、腰を曲げてしか歩けないところまで悪化してしまいました。

 それでも、外では痛いそぶりを見せないように必死でごまかしたのですが、ついにオシッコの出も悪くなってしまい、「これはまずい」と大学病院で人生初のMRIを撮ってもらったわけです。

 画像を見て、「アッ!」と先生が驚いたくらい見事なヘルニアの出っ張り具合で、「これが神経を圧迫しているんですよ」と説明を受けました。手術を提案されましたが、整復院の先生の「手術はしないほうがいい」という言葉がずっと頭にあったので「手術はしたくない」と即答。すると、「それならトレーニングで強化して克服する方法はどうですか?」と提案してくれたのです。

■PNF療法で克服

「それがいい。それ、やりたいです」と返事をしたら、「じゃ、市川先生のところでトレーニングしてみたら?」と言われ、紹介されたのが市川繁之先生という理学療法士で日本のPNF療法の第一人者でした。

 PNFは、神経を刺激することで筋肉や筋の働きを高めて身体機能を向上させるリハビリ技術です。今では多くのトップアスリートが体のメンテナンスのために利用していると聞いています。その療法を踏まえて、ヘルニアが神経に触れないように周辺を筋肉の鎧で固めてしまおうと提案されました。

 マンツーマンで30分、みっちり先生に負荷をかけられながらのトレーニングです。先生いわく「腹筋と背筋のバランスが大事」とのことで、主に体幹トレーニングでした。実は、初めはあまり期待しておらず、「多少でも症状が和らぐなら、やってみよう」ぐらいの気持ちでした。

 その意識がガラッと変わったのは3回目でした。その日は先生がとある病院でリハビリ指導する日で、私もそこへ行ったんです。そこでは、手足がなかなか動かない患者さんが懸命にリハビリをしていました。それを目の当たりにして、「この人たちはこんなに頑張っているのにオレは何だ! ギャーギャー言ってないで真剣にやろう!」と気持ちが固まったのです。そこから3年間は週に2~3回通いました。通い始めて半年ほどでゴルフクラブがなんとか振れるようになって、1年後にはラウンドできるようになり、3年も経つと「ヘルニアがあったの?」と驚かれるくらいすっかり克服できました。

 その後は、先生の教えを守って毎日自分でトレーニングをしました。通院は徐々に減り、いつしか全く行かなくなって5年ぐらい経っていたでしょうか。また腰から右足にかけて激しく痛み、歩行困難になりました。それがつい2~3年前の8月中旬です。

 わらにもすがる思いで市川先生に連絡を入れ、緊急で施術してもらったらウソのように改善(笑い)。診断は「座骨神経痛」でした。先生によると「貯金がなくなってる」とのこと。やはり、自主トレだけでは限界があると感じました。先生がかけてくれる負荷が大事なのだと思い、その後は月1回、今でもお世話になっています。

 ずっと体は鍛えていたし、大抵の体調不良は自己回復力で治してきたので、何日も治らない腰痛にはほとほと参りました。ある程度の年齢がくれば、いろいろな不調があるでしょうから、ビクビクすることはありませんが、だからといって過信もよくない。頑張りつつも不調をなめずに、ときには医療機関を頼ることも大事だと、ヘルニアを経験して思うようになりました。 

(聞き手=松永詠美子)

▽たに・はやと 1946年、鹿児島県生まれ。10代で上京し、街中でスカウトされて東映に入社。1966年、映画「非行少女ヨーコ」でヨーコの相手役としてデビューし、その後、東映アクションスターのひとりとして「網走番外地」シリーズなど映画に多数出演。1968年にドラマ「キイハンター」(TBS系)に出演し、一躍人気俳優となる。NHK大河ドラマから、バラエティー「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」(同)まで幅広く活躍し、現在もタレントとして活動。女優の松岡きっこさんとはおしどり夫婦として知られている。

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