がんと向き合い生きていく

口腔がんの手術に臨んだ外科医の「気構え」が忘れられない

佐々木常雄氏
佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 先日、G病院の外科医師から歯肉がんを患ったAさん(75歳・男性)について相談がありました。G病院には耳鼻科・口腔外科はなく、こんな相談内容でした。

 Aさんは右の頬が腫れていて、歯肉に痛みが出てきたため某大学病院の口腔外科を受診しました。診断は「歯肉がん」で、組織検査では「扁平上皮がん」でした。そして、担当医から「進行していて根治の手術はできないので緩和治療になります。口腔外科では、緩和のためには入院はできません」と言われたそうです。

 Aさんは、痛み止めの薬を処方されて自宅で過ごしていましたが、痛みが続き、大学の口腔外科ではもう診てもらえないと考えてG病院の外科を受診したのだそうです。

 某大学病院には入院患者に対応する「緩和チーム」はあるのですが、緩和病棟はないといいます。G病院の外科医師は、Aさんに痛み止めを処方したものの、「もし出血した時などは、口の中のことなので口腔外科のように対応できないのではないか」と心配して、私に相談してきたのでした。

 私は「Aさんの治療は、根治手術はできなくても放射線治療と併せての化学療法などはできるのではないか」と答えました。そして結局、AさんはG病院に入院して、放射線・化学療法を行うことになりました。

 その後、がんは小さくなり、痛みも楽になったと聞いて、私もホッとしました。さらに「今後は某大学の口腔外科の医師とG病院の外科医とで連携しながらAさんを診ていただきたい」とアドバイスしました。

■緩和医療が進んだのはとても良いことだが…

 この出来事で、私は自分の学生時代を思い出しました。もう50年以上も前のことです。当時は「緩和」という言葉はありませんでした。

 私は原因不明の耳鳴があって、よく耳鼻科の医局に出入りしていました。夏休みのある日の朝、医局でお茶を飲んでいたら、教授から「佐々木君、これから手術に入る。見るか?」と声をかけられました。私は教授が自分の名前を覚えてくれていたことがうれしくなり、「はい!」と答えました。

 手術室に行き、手洗いをして、手術着に着替えました。患者は右の頬が大きく腫れた70代の男性で、手術は「上顎洞がん摘出術」でした。上唇の中央部から鼻翼の右側、右目の下まで縦に切開し、皮膚をはがし、大きな腫瘤を摘出するのです。右上顎から鼻腔、頬骨も切って上顎洞、ほとんど顔の右側半分を切除しました。

 手術中の教授の迫力は凄まじいものでした。

「ん! そこ!」と太い声で指示を出し、助手を務める医師が「は! はい!」と答えながら進行していきます。教授は時々、鋭い目で私の方を睨みます。私はずっと緊張して見ていました。

 大きな塊を取り切った後、今度は皮膚を縫い戻します。もう手術の終わりが近づいていました。ところがここまできて、教授は皮膚が合わなくなっていることに気づいたようでした。大きな塊がなくなったため皮膚が余ってしまったのです。

 教授はせっかく縫ってきた糸を切って、また縫い直しました。私は「え? こんなこともあるんだ」と驚きました。今も忘れられない思い出です。

 当時は、放射線治療も薬物治療も、今とは雲泥の差がありました。手術が唯一の助かる手段でした。ですからあの頃は、手術を行う外科医師の「患者のために治すのだ」という気構え、気迫が凄かった気がします。

 最近は、エビデンスに基づいた標準治療、ガイドライン通りに治療を行うのが当然になっているように思います。そして、医療安全対策が進められました。もちろん、命が一番なのは当然のことです。緩和医療が進んだのはとても良いことです。ただ、決して無理はせず、安全策を選択し、危険な手術はしない……。医師の「何としても治すのだ」という気構えが少し弱くなっているのではないかと、心配になる時があるのです。

佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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