最期は自宅で迎えたい 知っておきたいこと

平穏で温かい思いや感謝の気持ちが伝わるみとりだった

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写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 これまで、ご自宅にお伺いする診療の中で一人一人の患者さんが私たちにとって大変思い出深く、いつも人生にとって大切なものは何か、家族の愛とは、といった学びを得ていると実感する日々を送っています。

 そんな思い出深い患者さんにこんな方がいました。

 その患者さんは90歳の男性で、慢性閉塞性肺疾患と誤嚥性肺炎の治療のあと、退院。自宅療養となり、私たちが訪問診療を担当することになりました。

 武骨なご老人で、それもそのはず最後の陸軍士官学校卒の61期生という経歴をお持ちで、戦中戦後を生き抜いてこられた方でした。約3年にわたる訪問診療の間に、そんな当時のお話もよく聞かせていただきました。

 都内から疎開先の埼玉の朝霞で終戦を迎えると、教師を志して大学進学を目指すも「戦争に加担した軍関係者は入学できません」と門前払いとなり、家業に戻りパン屋を継ぐことになったといいます。やがて結婚、一家を構え、一粒種の娘さんも誕生し、家族を守り通してきた人生でした。

 今は結婚し、同居する娘さん。「子供のころはよく父親に勉強を見てもらっていたおかげで難関国立大学の旧帝大にも進学できた。お父さんに感謝している」と話してくれました。

 無愛想で偏屈なところは昔からで、店番をしても武士の商法で不機嫌に客をあしらうこともあったといいますが、幸い愛想のいい奥さまがそんな夫を支え、店をもり立ててこられました。奥さまは20年前に亡くなり、遺骨はいまだお父さまの部屋に。「自分が死んだら好きにしていい」と言っているそうです。

 そんな患者さんも、もともと入院前にはかくしゃくとして近所の将棋クラブへ通い、駒を戦わせていたそうですが、退院後にガクッと足腰が弱くなり、外出もままならぬようになっていきます。

 ですが足腰を鍛えるリハビリや、肺活量を鍛える発声練習も積極的にやる気配はありませんでした。

 ひ孫の成長を穏やかに見守る日々。ある意味、達観した療養生活といえるものでした。やがて徐々に食事の量が落ち、昨年秋にはベッドで寝ている時間も長くなりました。それでも栄養を取るためのさまざまな手段を選ぼうとはしませんでした。

 我々もそんな患者さんの思いを尊重しながら在宅医療を続けていきました。

 それが昨年の11月のある明け方に、娘さんをコールボタンで呼び出し、水を一口飲まれ、静かに息を引き取られました。

 その間、背中をさすりながら娘さんが見守られたとのことでした。同居されるご家族に別段の心の高ぶりもない、でも心から温かい思いや、感謝の気持ちが伝わるみとりだったと今も思い出されます。

 このように患者さんが過ごしてこられた、時代や思い出もすべて抱えて診ることも、また「在宅医療」の姿だと考えるのでした。

下山祐人

下山祐人

2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。

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