医療だけでは幸せになれない

コロナと「EBM=根拠に基づく医療」の実践 高血圧の治療がきっかけ

写真はイメージ
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 判断や行動より考えることを重視することは、私自身が常々考えてきたことだが、そのきっかけとなったのは、根拠に基づく医療「Evidence-Based Medicine:EBM」を実践する中で、論文を読んで勉強すればするほど、判断が困難になる、どうしていいか迷うようになるという壁に突き当たったことだ。

 高血圧の患者を前にして、降圧薬を出すか出さないか、それに正解はない。その時々で適当にやるほかない。適当にするので、それでよかったのかと振り返らざるを得ない。判断が重要というのはその場のことに過ぎなくて、過ぎてしまえばさして重要ではない。重要なのはむしろ次にどうするかである。そこでまた勉強を続けるわけだが、それで結論が得られるわけではない。次にどうするかといっても、次も似たように適当にするほかない。

 30年以上にわたってそんなことを続けてきたが、そこで明確になったのは、いくら勉強したところで正解を求めることはできない。できるのは勉強し続けることであり、それをもとに考え続けることだけだ。実際の対応はいつも適当で構わない。ただそこで患者との相談は重要で、相談できれば、どういう判断をするかは問題ではない。判断はいつも暫定的なもので、患者自身もまた考え続けることで、判断や行動をいつでも変えることができる。そういう自由が重要ということであった。

 少し具体的に書いてみよう。私自身のEBM実践のきっかけのひとつに“高齢者の、上の血圧だけが高いという人たちに降圧薬を使うかどうか”という疑問があった。病気のメカニズムである病態生理中心の教育を受けていた私は、次のように考えていた。

「高齢になって動脈硬化の進行により動脈が硬くなると強い圧力で血流を送り込まなければ臓器の血流が悪化する。上の血圧が年齢とともに上昇するのは、動脈硬化による血流悪化を防ぐための対症的な生体反応で、血圧を下げてしまうのはかえって脳梗塞や心筋梗塞を増やすことになるのではないか」

 しかし、上記の考えが誤りであったことが判明する。1991年、60歳以上の、上の血圧が160㎜Hg以上の患者を対象にしたランダム化比較試験の結果が報告されたのだ。

 その結果は、4.5年で9.2%の脳卒中が、5.5%にまで少なくなるというものであった。

■覆す研究がなければ判断は強化される

 この論文を読んで最初に思ったことは、病態生理で考えると間違うこともあるということと、上の血圧だけが高い高齢者の高血圧は降圧薬で治療をすればいいんだということであった。これで外来の患者で困ることはない。そういう気持ちであった。今風に言えば、ランダム化比較試験という質の高い研究で統計学的にも有意というエビデンスがあるので、降圧薬の投与が強く推奨される、というわけだ。もういろいろ考える必要はない、そう考えた。

 もちろん、たかだかひとつの研究結果をもとに判断するという問題はある。

 ただこの後もSyst-Eur研究によってこの結果は確認され、それ以降もこの結果を覆すような研究は報告されていない。その中で、降圧薬を投与すればいいという判断はさらに強化されていく。判断は強化されるが、それがよい判断なのかどうかは、かえって怪しくなる。ぐずぐず考えることが増える。それが今につながっている。

 そのひとつが、全体と個人をつなぐことは極めてむつかしいということだ。ましてや、全体が、家族、地域を超えて、信用できない自治体、政府、争いが絶えない世界となると、医学研究に限らず、その他にどんな事実が提示されようとも、どうしてよいかはよくわからない。わからないまま判断し続ける。自分自身の外来診療も、まさにそういうことの連続だった。

 コロナ予防のためのワクチン、マスク、自粛。どれも同じことだ。判断を強固にする研究結果が出るたびに現実にどう行動するかはかえってわからなくなる。

 字数が尽きたようだ。続きは次回で。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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