上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

「心筋保護液」はさまざまな試行錯誤の末に確立された

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 心臓手術において、「心筋保護」が“守りの要”といえるくらい重要であると前回お話ししました。

 心臓を停止させて行う手術では、血流が途絶えてしまうことで心筋細胞が障害され、術後に血流を再開しても心臓の収縮が不良で心機能が戻らなくなってしまいます。そのため、「心筋保護液」という特殊な液体を一定の間隔で注入して心筋を保護する必要があるのです。

 歴史的に見ると、心筋保護液は1960~70年代にかけて確立されました。1953年、人工心肺装置を使った心停止手術が初めて行われて成功したのですが、当時は人工心肺装置も心筋保護も未熟だったため、死亡率は非常に高いものでした。これを受け、心筋の収縮を抑制するカリウムを高濃度で注入する心筋保護が考案されましたが、こちらもうまくいきませんでした。

 1967年には、南アフリカでC・バーナード博士による世界初の心臓移植手術が行われます。ここでも心筋保護は大きな課題でした。移植手術では、ドナーから心臓を取り出してから30分近くは血流がない状態になります。その心臓を移植後に再び動かさなければならないため、できる限り心筋を保護する必要があったのです。

 基礎医学的なアプローチとして、心臓摘出までドナーの体温が25度、心臓は28度になるまで冷却されました。低温にして心筋細胞の代謝を落とすためです。さらに、取り出された心臓は10度の乳酸リンゲル液に浸されました。ナトリウム、カリウム、カルシウムなどを水に溶解したもので、体液や電解質の補給に使われる薬液です。こうした試行錯誤の末、移植手術は成功したのですが、結局、患者さんは18日間しか生存できませんでした。

 心臓が停止している間、いかに心筋にダメージを与えずに済むか──心筋保護は心臓手術にとってさらに大きなテーマとなります。そんな中、1970年代になって英国のセント・トーマス病院が心筋保護液の研究を始め、新たな高カリウムの心筋保護液が開発されます。カリウム、カルシウム、ナトリウムなどの成分のほか、緩やかに心臓の収縮を落としていくマグネシウムが加えられました。これは「セントトーマス液(第1液)」と呼ばれて広まっていきます。さらに、1981年にはpHと成分の調整を行った第2液が登場し、いまも世界中で使われています。

 もうひとつ、心筋保護液として広く使われているのが「GIK液」です。含まれている成分のグルコース、インスリン、カリウムの頭文字をとって名付けられたもので、安価なうえに施設内での調製もそれほど難しくないため、1980年代くらいまでは日本でもGIK液を主体として使っている施設が多くありました。

■血液を混ぜる方法も

 1990年代に入ってもさらに試行錯誤は続きます。心筋保護液を使えば心筋細胞の代謝はある程度は落ちるものの、無酸素の状態が続くため心筋のダメージが残りやすいのではないかといった考えから、心臓を冷却する最適な温度が模索されます。4度から20度前後まで試され、さらに心臓を停止させている時間は1時間30分くらいまでは安全で3時間を超えると危険になる、その間の時間は個人差が大きいといったようなさまざまな学説が出てきました。

 心筋保護液についても、従来のものに不整脈を抑える薬や心筋保護作用があるアミノ酸を加えるなど、さまざま工夫が続きました。

 ちょうどそのあたりの頃から、過去に心筋梗塞を起こして心機能が低下している状態の患者さんに対する再手術が行われるようになります。その場合、従来のように心臓を冷却したうえで心筋保護液を使う方法では、手術成績があまり良くありませんでした。いったん止めた心臓を術後に再び動かして血流を再開させても、収縮が不十分なケースが多かったのです。

 そこで、心筋保護液に血液を混ぜる方法が検討されます。血液には心筋への酸素供給や、pH低下に対する強い緩衝作用があるためです。

 じつは血液を混ぜた心筋保護液による心筋保護法は以前から存在しました。しかし、赤血球は温度がおよそ15度以下になると変形能が低下してしまって、血球が壊れる現象が起こります。そのため、長時間の手術では人体にとってマイナスになるという問題点があり、使われていなかったのです。

 しかし、冷却する心臓の温度を少しずつ上げていって、赤血球の変形能が保たれる20度くらいの環境を維持すれば、血液を混ぜた心筋保護液を使った心臓手術の成績は非常に良好だということがわかってきます。

 さらに、血液を混ぜる割合についても研究が進み、2分の1にするのか、3分の1なのか、4分の1がいいのではないかといった議論が活発になります。

 そしてさらに、心臓の温度をそこまで上げても心筋保護に問題が生じないのなら、もっと温度を上げていわゆる「体温」くらいにしても良いのではないか、という意見が登場します。

 心筋のダメージを少なくするには心臓を冷却して心筋細胞の代謝を落とすという方法が最善と考えられていた時代ですから、当時は「心臓の温度を上げる」なんて正気の沙汰ではないと思われていました。しかし、それが今に至る新たな心筋保護の方法につながっていきます。次回、さらに詳しくお話しします。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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