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論文世界と現実とのギャップを考える…人種より個々のばらつき

海外のデータをどう役立てるか(バングラデシュの首都ダッカ)/(C)iStock
海外のデータをどう役立てるか(バングラデシュの首都ダッカ)/(C)iStock

 今回はバングラディッシュで行われたランダム化比較試験を例に、論文世界と現実のギャップについて具体的に検討したい。

 この場合、いくつかの問題がある。決定的なのは論文の参加者と論文を元に実際の判断をする目の前の個人はそもそも別であり、ましてバングラディッシュ人と日本人は違うだろうという批判がある。海外のデータを示すと、日本人のデータでなければ意味がないと言われたりする。

 これに対してはこの連載で繰り返し述べてきたように、人種差よりも同じ人種内のばらつきの方が大きいため、人種の問題より個別の違いに注目して検討したほうが良いというのが原則である。さらに試験管や動物実験のデータよりも、とりあえず同じ人間のデータというところで妥協して、どう役立てるか考えてみるのが現実的な対応だと思う。

 どうしても日本人のデータでなければというのであれば、新たに自分で研究するか、日本人の研究結果が出るまで待つしかない。しかし、それを待つよりはとりあえずバングラディッシュの研究を基に考えてみるのもいいではないかという立場である。最善のエビデンスでなくても、現時点で手に入る限りの最良のエビデンスでまず検討するという現実的な対応である。

■マスク着用の勧めを守らない人をどう考慮するか

 バングラディシュ人と日本人の差であるが、この研究で、マスクを勧められる地域に居住したもののうち42.3%がマスクを着用し、勧められなかった地域の住民でも13.3%がマスクを着用していたと報告されている。マスクを勧められても半分が着用しないというのがこの研究の対象となったバングラディッシュ人の現実である。

 仮にこれが日本で行われたとしたら90%以上がマスクを着用するかもしれない。そうだとすると、日本人ではマスクの効果がもっとはっきりと示されるかもしれず、この研究結果を日本人に当てはめて考えた場合、マスク着用効果を過小評価することになるかもしれないのである。

 たとえば、半分以下のマスク着用率でも相対危険減少で12%程度の効果があるとすれば、90%着用すれば2~30%くらいの予防効果の可能性もある。日本人の研究をまたなくても、バングラディッシュ人と日本人の違いの一部は、このようにして検討できる面がある。

 ここで1つの疑問が生じる。この研究ではマスクの効果を測るのに、「マスク装着を勧められながらマスクを装着しない人」もマスクを着けたグループに入れて解析しているのだが、マスクを実際に着けた人だけで検討したほうがいいのではないかという指摘だ。もっともである。マスクを装着した効果というのであれば、実際に着けていない人を含めるとバイアスになる。

 その反面、マスクをお勧めする効果という点で見ると、マスクを着けていない人も含めたほうがいいだろう。さらには、指示に従わずマスクを着けていない人と、指示を守って着ける人の背景は異なる可能性が高く、含めたほうがランダム化によるバイアスの除去が守られる可能性が高いというメリットもある。マスクを着けない人を含めることでマスクの効果は薄められる可能性はあるが、薄められた効果でも有効と言えれば、その結果の妥当性は増すということもある。

 このマスクを着けていない人まで含める解析を「治療意図に基づく解析」といい、マスクを着けていない人を除く解析を「実際に行われた治療に基づく解析」と呼ぶ。

 前者には新たな「交絡因子」(※)によるバイアスを避けるメリットがあり、後者にはマスクそのものの効果を検討できるというメリットがある。

 治療予防効果を検討した論文を吟味する際に重要なポイントである。

※交絡因子:治療群と対照群で治療以外に背景の違いがあると、得られた結果が「治療の違いによる差」なのか、「治療以外の背景因子の差」によるものなのか区別がつかなくなる。この治療効果に影響する背景因子の違いを交絡因子と呼ぶ。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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