これまでお話ししてきたように、脳疾患の治療はうまくいき、脳画像もそこまで深刻な状態ではないのに、寝たきりになってしまう患者さんがいます。その場合、原因は前回取り上げた廃用症候群だけではなく、脳内ホルモン(神経伝達物質)の分泌のバランスが崩れ、ドーパミンが不足して体を動かせなくなっているケースがあります。
ドーパミンは、意欲、運動、快楽のコントロールに関わる神経伝達物質で、不足すると筋肉がこわばる筋固縮などの症状も現れます。体全体がカチカチに硬直して動かなくなり、寝たきり状態になってしまうのです。
そうした患者さんの場合、クスリを使いながらリハビリを行うことで動けるようになり、運動機能や能力を取り戻して日常生活を送れるようになる可能性があります。
以前、脳挫傷による重度の痙縮(自分の意思とは関係なく筋肉が収縮し関節が硬くなる状態)があり、寝たきりだった50代の男性患者さんが来院されました。脳外科治療によって、脳損傷そのものは深刻な損傷ではなく、重い麻痺もありません。しかし、脳が出している「筋肉を収縮させる指令」と「筋肉を弛緩させる指令」がバランスよく伝わらなくなり、体を伸ばせなくなって屈曲してしまっているのです。つまり、座れない、立てない、歩けない……という状態で、覚醒状態も低下していました。無理に体を伸ばそうとすれば痛みが出るので、積極的な立たせるリハビリが行えませんでした。この状態が2週間以上続くなら、改善は望めません。
■投薬とリハビリを併用する
そこで、「バクロフェン持続髄注療法(ITB療法)」とリハビリを併用する治療を計画しました。バクロフェンは、筋肉をほぐし痛みを和らげる筋弛緩薬で、脳卒中の後遺症や筋肉がこわばる病気の治療に使われます。このバクロフェンを脊髄の髄腔内に直接投与するのです。まず、バクロフェンを脊髄の髄腔内に注射して、痙縮した筋肉が弛緩するかを判定します。効果が確認できたら、次は脊髄の治療が必要な高さまで(この患者さんでは第3頚椎の高さまで)長いカテーテルを通して固定設置します。そして、薬剤が24時間持続的にじわじわ流れる装置を使ってバクロフェンを注入していきます。
その患者さんは投与直後から上肢と股関節、膝関節と足関節の屈曲と痙縮が改善され、徐々に自分で手や足を伸ばせたり、曲げたりできるようになりました。これならリハビリを実施できます。介助しながら、座る、立つ、歩くといった訓練を行い、同時に声がけをしてコミュニケーションを図っていきます。
これを根気よく繰り返した結果、2カ月後には自分で歩けるようになり、意識レベルも向上し、日常の簡単な動作も自分でできるようになりました。体全体が硬直して、まったく寝たきりだった患者さんが、自分で立って、歩いて、しゃべって、生活できるようになるのですから、ご家族はびっくりしていました。
体が硬直して動かなくなっている場合、ボツリヌス毒素を成分とするボトックスという薬剤を注射して筋肉の緊張を和らげる方法もありますが、ボトックスで治療できるのは、基本的には腕1本や足1本といった程度です。そのため、前述した患者さんのように四肢に強い痙縮があると改善は難しい。そういった場合はバクロフェン髄注療法が有効なのです。
ただ、バクロフェンを投与するだけでは、廃用症候群と弛緩した筋力低下が残り、そこまで機能と能力を取り戻すことはできません。そこで、積極的な攻めのリハビリが必要になります。これまでお話ししてきたように、座らせる、立たせる、歩かせる訓練を繰り返し、筋力や筋耐久性を向上させていくのはもちろん、積極的にコミュニケーションを図って脳に刺激を与えることも重要なポイントです。
なんらかの作業をする際も、リハビリを行っている最中も、常に声をかけながら進めます。歩行訓練の時は「イチ、ニ、イチ、ニ」と一緒に声を出したり、「どこか痛いところはありませんか?」「今日は調子がいいですねー」といった簡単な会話からコミュニケーションをとり続けます。リハビリでは、脳に快適な刺激を与えることが重要なのです。
リハビリによって、意識がはっきりしてきて、なんらかの反応や会話ができるようになってきたら、簡単な計算の問題を解いたり、文章を読んだり書いたりしてもらいます。短い文章からスタートして、徐々に長くしていきます。さらに、それらができるようになった段階で、今度は頭で考えて答えを導き出すクイズのような訓練を繰り返します。その際のポイントは、本人ができるレベルの課題を与えて成功体験を与えていくことです。
このように、身体機能や体力を向上させるリハビリと並行して、脳にステップに応じた刺激を与えるリハビリを行うことで、“人間力”を取り戻せるのです。
正解のリハビリ、最善の介護