上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

高齢者の再手術は初回からの期間が短いと「癒着剥離」の難度が上がる

天野篤氏
天野篤氏

 2020年にいわゆる定年で主任教授を辞し、大学の理事兼特任教授となってから、およそ3年半がたちました。かつてに比べると件数は減りましたが、いまも病院で現役の外科医として手術を続けています。このところ、主に執刀しているのが「高齢者の再手術」です。

 心臓手術の多くは“賞味期限”があります。たとえば、冠動脈バイパス手術でバイパスとして使う血管の耐久性は、足の静脈であれば「およそ13~15年」といわれています。内胸動脈を使えば一生もつこともありますが、その間に他の冠動脈狭窄が進むケースも多く、再手術がゼロにはなりません。また、心臓弁膜症で弁を交換する手術で使われる生体弁は、35歳以上では15~20年くらいで硬くなったり、穴が開いたりして、再び交換しなければなりません。

 いずれも、患者さんの持病や全身状態、生活管理の状況によって変わってきますが、最初の手術からそれくらいの年数が経過した時点で、再手術が必要になるケースが少なくないのです。ほかにも、初回の手術とは別の心臓トラブルが起こって再手術が必要になる場合もあります。

 当院で再手術を実施する患者さんは上限で85歳前後、70~80代が中心なので、およそ60~70代で最初の手術を受けた人が多いというイメージでしょうか。ただ、「初回の手術はしっかり終わっていて、経年劣化で“賞味期限”を迎えたことによる再手術」は、技術的にはそこまで難度は高くありません。外科医としてやっかいなのは、1~2年前に手術を受けた患者さんの再手術です。

 このケースで当院にやってくるのは他院で手術した患者さんがほとんどで、最初の手術がうまくできていないことから追加の処置が必要だったり、中にはまるっきりやり直しするケースもあります。心臓の悪性腫瘍=肉腫で、初回の手術では腫瘍の部分が取り切れていなかったために再発し、すべての腫瘍を取り切るために再手術を行った患者さんもいました。徹底的に再手術を行うのは私くらいでしょう。

 こうした初回の不十分な手術に対する再手術というのは、いちばんリスクが高くなり、技術的なハードルも上がります。組織同士の癒着が強いうえ、最初の手術であれこれいじくり回された箇所をもう一度、触れて処置しなければならないからです。

 再手術において、最初の関門となるのが「癒着」です。心臓の手術では、一時的に心臓を覆っている心膜を切開し、再び縫って閉じる処置を行います。縫い合わせた部分は、傷が回復する過程で組織同士がくっついて、どうしても癒着が起こるのです。

 癒着によって臓器や血管が複雑にくっついていると、スムーズに患部にメスを入れることができなくなります。再手術では、まず癒着を丁寧に剥離しながら手術を進めていきますが、それだけ時間もかかりますし、技量も必要になってきます。癒着している部分とそうでない部分の境目はもろくなっているので、ちょっとしたことで血管が裂けて大出血を起こすケースがあるのです。

■癒着剥離には「微分」が役立つ

 こういった手術によって生じた癒着は、初回の手術から時間がたっていればたっているほど対応しやすくなります。時間がたつと、癒着している部分と通常の組織がなじんでくるため、ある程度の耐久性が保たれ、癒着の剥離や手術操作がやりやすくなるのです。最初の手術からそれほど時間がたっていない再手術はリスクが高く、技術的なハードルが高くなるのはそのためです。

 癒着剥離に関しては、外科医によってさまざまな考え方ややり方がありますが、私は、高校で習う「微分」をいちばん応用できる部分だと考えています。微分というのは、簡単に言えば、ある曲線(たとえば放物線)上の2点=一区間の接線の傾きを求めるものです。接線とは、曲線と限りなく接している、曲線上の2点を結んだ直線を指します。

 癒着剥離は、癒着している部分とそうでない部分の境目=接線を見極め、接線に沿って剥離していけば臓器や血管にダメージを与えることはありません。臓器や血管の形状と癒着部分を一区間一区間で切り取り、傾きがどうなっていて、接線がどの方向に向いているのかを判断できれば、誤って臓器や血管を傷つけることなく進めていけるのです。もともとの臓器や血管の基本的な構造が頭に入っていれば、仮に初回の手術で切除して縫合された形になっていたとしても、一区間一区間でしっかり微分の考え方を応用することで、的確に癒着を処置できるということです。

 このように、「癒着も理詰めできちんと対応できる」ということを自分で確信できていると、癒着剥離に対する怖さがなくなります。怖さがなくなれば、躊躇することなく果敢に勇気を持って処置にあたれますし、それだけ手術の“完成度”も高くなります。

 ほかに癒着剥離のリスクを減らす方法として、「減圧」という手段があります。麻酔を使って心臓が血液を送り出す際の圧力を低下させたり、人工心肺装置を使って心臓内の血液を抜いたり、血液循環を完全に停止して、圧力をゼロにした状態で剥離を進めていく方法です。癒着してくっついてしまっている部分と、正常な部分が同じ圧力になるので、両方の側から同じ強さの力で引っ張ることができて操作がしやすくなるうえ、血液の抜けた心臓はぺちゃんこになるため、剥離する部分も小さくなります。

 ただ、人工心肺装置を使ったり、低体温にして循環を停止させると生体に対する負担は大幅にアップするので、短時間、長くても60分程度で処置を終わらせなければなりません。そこで時間をかけると、かえって本末転倒になってしまうため、やはり技術が求められます。

 次回も、高齢者の再手術について詳しくお話しします。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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