上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

脳梗塞を予防する「左心耳」への処置が保険適用になった

天野篤氏
天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 今年4月、これまでわれわれが積み重ねてきた努力がひとつ実りました。心原性脳梗塞を予防するために心臓の左心耳を処置する「左心耳閉鎖術」が保険適用になったのです。

 左心耳とは、心臓の左心房の上部にある袋状に突起した部分です。心臓が細かく不規則に収縮を繰り返す心房細動が起こると、ここの血流が悪くなるため、血栓ができやすくなります。その血栓が移動して脳の血管で詰まると、脳梗塞が起こるのです。

 しかも、こうした心原性脳梗塞は片麻痺や言語障害が残りやすく、生活支援も必要になると寿命にも影響してくることが知られています。

 心臓の手術を受けた患者さんは、どんなに手術がうまくいったとしても、術後に脳梗塞を起こすリスクがアップします。回復する過程で、縫い合わせた部分がどうしても癒着を起こして全体的な心機能が低下するので、左心耳も含めた心臓内で血液によどみができて血栓が形成されやすくなるからです。

 術後の心原性脳梗塞を予防するには、かつては血液を固まりにくくする抗凝固剤を服用するしか手段はなく、ずっと薬を飲み続けなければならない患者さんの負担は大きなものでした。また、薬で人工的に血液をサラサラにすると血が止まりにくくなるため、患者さんに胃潰瘍からの出血や交通外傷による内出血など、出血に関するアクシデントがあった時には重篤な状態になってしまうリスクが高いといえます。

 そのため、どうにかして心臓手術で脳梗塞を減らす方法はないものかと考えました。欧州ではすでに脳梗塞の予防のために左心耳を処置する動きがありました。また、ほかの専門家などからさまざまなアドバイスをもらい、血栓の75~90%が形成される左心耳に行き着いたのです。左心耳は、いわば盲腸と同じようなもので、取り除いてしまっても問題はありません。普段の心臓手術のついでに比較的容易に実施できるうえ、予防効果も明らかだったため、2010年ごろから本格的に取り組むことにしたのです。

■左心耳に対する症例は3600件超

 当初は、心臓手術を行う際に左心耳を糸で縫い縮め、血液の行き来を遮断する「左心耳縫縮術」を行っていました。抗凝固剤を服用するのと同程度以上に脳梗塞を予防することがわかっていて、2012年に上皇陛下(当時の天皇陛下)の冠動脈バイパス手術を執刀した際にも左心耳縫縮術を受けていただきました。

 近年は、さらに進化させて「左心耳切除術」を実施しています。左心耳を糸で縛るだけでは脳梗塞を完全に予防するには不十分なところがあったからです。もちろん、ほとんどの場合はそれで心原性脳梗塞を防げるのですが、ごくまれに心不全の症状が残ってしまうと防ぎきれないケースも出てきてしまうのです。そこで、左心耳は取り除いても大きな問題はないこと、血栓の移動を防ぐにはできるだけ左心耳を切除して縫った方が確実だとわかってきたことから、左心耳を切り取る方法にシフトしました。

 順天堂医院では、心臓手術に付随した左心耳に対する処置が3600例を超えていて、おそらく世界でいちばん症例数が多い施設です。これまで積み上げてきたデータと成果を海外の学会で発表するなど、ある程度のエビデンスも構築できたと自負しています。

 今年の4月から保険適用になった「左心耳閉鎖術」は、カテーテルを使って血管の中に器具を留置して左心耳を遮断する方法で、心房細動を治療中の患者さんで抗凝固剤の長期的な服用が難しい場合に限って認められました。あくまでも心臓手術に付随した処置で、脳梗塞を予防するためだけに実施することはできませんが、大きな一歩であるのは間違いありません。

 これまで、左心耳に対する処置はどの病院でも行える一般的な治療ではありませんでしたが、保険適用をきっかけに広まっていくでしょう。先行する施設の責任として、さらなる安全性と簡便性を見つけていく責任をヒシヒシと感じています。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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