医療だけでは幸せになれない

マスク着用の効果の検討で「コクランレビュー」を取り上げなかった理由

写真はイメージ(C)日刊ゲンダイ

 今回はこれまでの議論をいったん休憩して、これまで紹介してこなかった論文について取り上げたい。医学研究をまず探しに行く際、「システマティックレビュー」(注1)と呼ばれる複数の論文をもれなく検索し、批判的吟味したうえで検討した論文を探しに行く。その場合にキーとなるデータベースが「コクランライブラリー」(注2)であり、そこに収載された「コクランシステマティックレビュー」(注3)である。

 コクラン(注4)は人名で、「すべての有効な医療を、すべての人に無料で」と世に向けて訴え続けた疫学者である。その一部については私のYouTube 1)で取り上げているので、そちらも参照していただければ幸いである。

 そのコクランの遺志を継いで、有効な医療かどうかを検討したシステマティックレビューを世に向けて広く伝えていこうという取り組みの産物がコクランシステマティックレビューであるが、コクランが言っていた「無料で」という部分がまだ達成されていないのが残念である。日本のコクランセンターはコクランジャパンのホームページ 2)があり、その活動の詳細を知ることができる。

 そのコクランシステマティックレビューでもマスクの着用に関するシステマティックレビュー 3)がある。なぜこのコクランレビューを紹介しないのかという批判もあり、今回はこれまでと同様に、医学研究と現場のギャップについてコクランレビューを基に検討してみたい。

 この論文は、新型コロナ感染以外のインフルエンザなどの呼吸器感染を含む対象に対して、マスクの着用以外に手洗いの効果についても検討したシステマティックレビューである。46の研究を統合しているが、そのうちコロナに関する論文は一部であり、この連載でも取り上げたデンマークの研究のみである。

 インフルエンザとコロナの1論文を合わせた研究でマスクの効果を見たサブグループ分析(注5)としての結果が示されている。大部分はインフルエンザの研究と一緒にサブグループで検討されているという大きな限界がそもそもこの論文にはあり、さらにエアロゾル(注6)感染が主体のコロナと飛沫(注7)感染が主体のインフルエンザを一緒に検討するという大きなバイアス(注8)もある。結果はインフルエンザに対するマスク着用の効果を見ていると思ったほうが良い論文である。

■質の高いエビデンスも現場に完全合致することはない

 コロナに対するマスク着用の効果を検討する論文としては、このシステマティックレビューは現場とのギャップが大きすぎてほとんど使えないということがわかる。そこでコロナに対するマスクの効果を見るには、このコクランレビュー以後に報告されたランダム化比較試験(注9)や、コロナに限ったシステマティックレビューを再度探しに行くという作業が必要である。その結果がこの連載で取り上げた2つのランダム化比較試験と観察研究(注10)も含むコロナ感染とマスク着用の効果を検討したシステマティックレビューである。

 一応、結果を見ておくと、インフルエンザとコロナを一緒にした結果のみが示されている。コロナを対象とした1論文を含む6論文を統合した相対危険(注11)と、その95%信頼区間(注12)は、1.01(0.72~1.42)である。信頼区間は広く効果があるともないとも言い切れない結果である。信頼区間の下限が0.72であるので、相対危険減少では「28%感染を予防するかもしれない」という結果でもある。効果があるとは言えないが、これを無効ということもまた困難な結果である。

 このコクランレビューが学校におけるマスク着用のみならず、国民全体に対するマスク着用に関わる議論の中で、マスク着用に効果がないという根拠として取り上げられていたことがあったが、そこではこのレビューの結果と現場のギャップがきちんと評価されておらず、ほとんどインフルエンザに対するマスクの効果をコロナに用いているという誤りがある。コクランレビューは最も信頼性の高い情報だとしても、それが現場に役立つかどうかと言えば、ギャップが大きすぎて使えないのである。

 さらにインフルエンザ予防に対して無効であるという結論も、常時マスクを着用するという状況で検討された論文は少なく、インフルエンザ予防のマスク着用に関しての効果を見るには問題の多い論文である。

 医学論文を現場で使うというのは医療に限った議論であっても、こうした多くの限界がある。質の高いエビデンスも、現場にぴったり合った研究であることはまずない。そのギャップを常に意識しなければ、医学研究を用いることはむしろ害をもたらすかもしれないのである。そのギャップを考慮した場合、コクランレビューであれば大丈夫、「Lancet」(注13)、「New England Journal」(注14)ならOKということはないのである。

■参考文献
1)https://www.youtube.com/watch?v=7H7dnmLjZyI
2)https://japan.cochrane.org/ja
3)Jefferson T, Dooley L, Ferroni E, Al-Ansary LA, van Driel ML, Bawazeer GA, Jones MA, Hoffmann TC, Clark J, Beller EM, Glasziou PP, Conly JM. Physical interventions to interrupt or reduce the spread of respiratory viruses. Cochrane Database Syst Rev. 2023 Jan 30;1(1):CD006207. doi: 10.1002/14651858.CD006207.pub6. PMID: 36715243; PMCID: PMC9885521.

(注1)システマティックレビュー:レビューとは関連する複数の論文を取り上げ検討した総説のことを言い、そのうち問題を限定し、網羅的な情報収集と批判的吟味を行うプロセスを経て作られたものをシステマティックレビューと呼ぶ。
(注2)コクランライブラリー:英国国民保健サービス(NHS)の一貫として1992年に発足した国際的な医療評価プロジェクトであるコクラン共同計画。それが発行するシステマティックレビューのデータベース。EBM(エビデンスに基づく医療)実践の基盤になる情報源のひとつ。
(注3)コクランシステマティックレビュー:コクラン共同計画の手順に基づいて、明確なクエスチョンに対し、系統的で明示的な手法を用いて、適切な研究を同定、選択し、評価を行うことで作成するレビュー。
(注4)アーチボルド・コクラン(1909年~1988年):英国の医師・疫学者。「EBMの3人の父」のひとり。「有効なものはすべて無料」を唱え、ランダム化比較試験やシステマティックの重要性を説い続けた。
(注5)サブグループ解析:試験に参加する患者全体のうち、ある特定の属性をもった集団に注目し、その集団(サブグループ)を対象として解析を行うこと。
(注6)エアロゾル:感染者の呼気に排出され、空気中に浮遊する、直径1μm未満の粒子のこと。
(注7)飛沫:直径5μ以上の粒子。
(注8)バイアス:先入観や偏見を意味し、認識の歪みや人の思想や行動の偏りを表現する言葉で、疫学的には研究結果が真実とは異なる方向にゆがんでしまう要因や誤差のことを指す。研究対象を選択する段階で生じる選択バイアスなどがある。
(注9)ランダム化比較試験:研究の対象者を2つ以上のグループにランダムに分けて、治療法などの効果を検証すること。
(注10)観察研究:人為的、能動的な介入(治療行為等)を伴わず、ただその場で起きていることや起きたこと、あるいはこれから起きることを見る研究のこと。
(注11)相対危険:危険因子にさらされた場合、それにさらされなかった場合に比べて何倍病気にかかりやすいかを示す指標。危険因子にさらされた群の病気のかかりやすさのリスクの、危険因子にさらされていない群の病気のかかりやすさの比で表される。
(注12)信頼区間:信頼区間:調査結果を知るための統計科学的な推測法のこと。95%信頼区間とは「同じような研究を100回行えば95回はその範囲に収まる」と推定される結果のことを言う。
(注13)Lancet:1823年に創刊された最も評価の高い世界5大医学雑誌のひとつ。
(注14)New England Journal:1812年に創刊された最も評価の高い世界5大医学雑誌のひとつ。

名郷直樹

名郷直樹

「武蔵国分寺公園クリニック」名誉院長、自治医大卒。東大薬学部非常勤講師、臨床研究適正評価教育機構理事。著書に「健康第一は間違っている」(筑摩選書)、「いずれくる死にそなえない」(生活の医療社)ほか多数。

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