独白 愉快な“病人”たち

乳がんで右胸切除となった塩崎良子さん「引き締まったウエストづくりに精を出した」

塩崎良子さん(本人提供)(C)日刊ゲンダイ
塩崎良子さん(株式会社TOKOMEKU JAPAN社長)=若年性乳がん

 2013年の冬、イタリアに行ったとき、たまたま食べていたジェラートが服の胸元に落ちてしまったのでゴシゴシ拭いていたら、右胸の奥の方にしこりの存在を感じたのです。それまでそんなに強く胸を押したことがなかったので、まったく気づかなかったんですけれど、それはピンポン球ぐらいの大きさでした。

「乳がんかも?」と思い、帰国後すぐにクリニックを受診しました。すると数日後に「悪性でした」という結果。ある程度予想していたので冷静だったと思うのですが、帰宅途中に立ち寄ったカフェにコートを忘れたまま帰りかけたので、やはり動揺していたんでしょうね。

 大きな病院で改めて検査をすると、思ったより進行していて、腫瘍の大きさからすぐに手術はできないと言われ、まずは抗がん剤で小さくすることを提案されました。

 標準治療の中で薬を替えながら、1年半ぐらい抗がん剤治療が続きました。当時、アパレル会社を経営していたのですが、1クール目で店舗を閉めました。仕事ができないほどダメージを受けたというより、副作用で髪が抜けてしまった自分と、華やかなアパレルショップという“ハッピー路線”のお店の仕事にギャップがあり過ぎて無理だと判断したのです。

 抗がん剤治療では、脱毛の他にも食欲不振があり、徐々に痩せていきました。治療のつらさにも増して「失った感」というのでしょうか、世界が家と病院しかなくなって、社会から取り残された感覚に陥りました。体のつらさよりそっちの方がしんどかった。

 でも、次第に抗がん剤治療による体調の波がわかるようになって、「タイミングを見計らいながらやりたいことをやろう」と思えるようになりました。じつはこのときの1年半で、海外旅行に3回行ったんです。スリランカやイタリアのベネチアなど、今まで行ったことがない国や地域へ行くことをモチベーションにして生きていました。

 ところが、1年半たっても抗がん剤の効果はあまりなく、結局、右胸の切除手術となりました。

 もちろん胸を切除するのは悲しかったけれど、やっとがんが取り除けるという気持ちもありました。ただ、取ってしまったらやはりショックを受けるだろうと思ったので、猛然と引き締まったウエストづくりに精を出しました。「胸はなくても私にはこのウエストがある」と思えたら、ショックを和らげられるような気がして(笑)、体調が悪いときでもトレーニングしました。

 手術ではリンパ節も含めて右胸周辺をごっそり切除されました。できれば胸の同時再建をしてほしかったのですが、リンパ節も取ることになったので同時再建はできずじまい。退院後は通院で放射線治療もやりました。

塩崎良子さん(本人提供)
転機になった院内ファッションショー

 もうお店を閉めてしまって他にやることがないので、必然的に病気と向き合う時間が長く続きました。「友人たちのように結婚や子育てはできないのかな」とか、「あとどのくらい命があるのかな」といったことから、「結局、私はどうありたいのか」と、ひたすら自分のことを客観的に見つめました。「誰でもいつか死ぬ」と頭ではわかっていますけど、がんになって初めて「命って終わるんだ」と明確に意識しました。

 思えば、病気になって仕事を失い、胸を失い、社会とのつながりも失うなど、失ったものばかり考えていました。何者でもなくなり、ただ生きているだけの私だったのです。でも友人や家族からこの上ない愛情をもらったことは確かです。いつしか、「手元に残っているものを大事にしよう」と思えるようになり、この命を何かに役立てたい、人生を意味のあるものにしたいと思うようになったのです。

 転機になったのは、病院の医師の提案で院内ファッションショーをやったことです。モデルは入院している患者さんたち。歩ける人も車いすの人もみんなにモデルになってもらいました。いつもの病衣姿とは全く違う装いに、見ている人たちもモデルになった人たちも、華やいだ雰囲気になりました。

 入院患者って、みんな同じようなファッションなんです。院内の売店では選ぶほど種類がないですし、機能性を重視しているので必然的にどんどん病人くさくなっていくんですよね。自分でも入院中に「こういうものがあったらいいのに」と思っていたところに、院内ファッションショーがあって、「病気になっても私らしくいたい」という発想から、ケア・介護用品ブランドを立ち上げることにしたのです。

 術後の放射線治療を受けながら1年弱、ビジネススクールに通って経営を学びました。それまでは経営の基礎を知らないまま会社をやっていたんですけれど、これからは経営者としてちゃんとビジネス展開して、ケア・介護用品に対する価値観を変えられるような、この業界に風穴をあけられるような会社をつくろうと思ったのです。

 今でも半年に1回検査を受けていて、今は右手にリンパ浮腫を発症し、むくみとだるさに悩まされています。がんはもうこりごり……でも自分の人生と本気で向き合って、見つめ直し、価値のある体験だったなと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽塩崎良子(しおざき・りょうこ) 1980年、千葉県出身。アパレル会社の経営から病気を経て、機能性におしゃれをプラスしたがん・介護用品ブランド「KISSMYLIFE」(https://www.kissmylife.jp/f/kiss_my_life)を立ち上げ、ECショップを主軸に関東の国立病院内やデパート8カ所に出店。

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