独白 愉快な“病人”たち

善本考香さん 子宮頸がんで転移と再発を繰り返し…「ただ死ぬのが怖かった」

善本考香さん(C)日刊ゲンダイ
善本考香さん(特定非営利活動法人Smile Station代表/52歳)=子宮頚がん

 治療しても治療しても、転移・再発を繰り返しました。余命宣告もされましたし、「ここまでして生きる意味ある?」と思ったこともあります。でも、諦められなかったんです。自分の命を自分で救いたかった。治療を続けられたのは「娘のため」なんてきれいごとではなく、「ただ死ぬのが怖かった」だけです。

 40歳前後の2年ほど、不正出血が続いていました。年齢も年齢ですし、忙しくしていたので「そういうこともあるかな」と思っていたら、ある日、シャワー中に大量出血したのです。「これはただ事ではない」と思って、いろいろ調べると、子宮頚がんっぽいことがわかり、近所(山口県)の婦人科へ。検査をすると1週間足らずで病院から電話があり、「子宮頚がんではあるけれど、がんの元まではわからない」と告げられました。

 真っ先に頭に浮かんだのは「お金が要る」ということでした。加入している保険会社に事情を話し、給付金の確認をし、ついでに評判の良い医師を紹介してもらうことにしました。看護師の友人にも相談し、腕の良い医師がいないかを聞き、さらに母親がかかっている主治医からも情報をもらいました。すると、すべての情報が1人の医師に集中したのです。

 その医師を訪ねて広島へ出向き、改めて検査をした結果、「子宮頚がん1b2期」と確定。2011年8月に子宮、卵巣、リンパ節を取り除く広汎子宮全摘出手術を受けました。

 その後に抗がん剤治療を6クール。ご多分に漏れず、脱毛や白血球低下、手足のしびれなどの副作用に苦しみました。特に口内炎はひどく、ちょっと触っただけで歯ぐきから膿が出る状態。ムカムカ感もありながら、それでも食いしん坊だったので必死で食べていました。

 ところがさらに、腹部大動脈リンパへの転移が見つかりました。ちょうど娘の中学の制服が届いた日、病院から「今すぐ来られますか?」と電話があり、娘と2人で泣きました。

 次の治療は同時化学放射線療法でした。2012年5~6月で、毎日1回放射線治療(計25回)を受けながら、週1回の抗がん剤治療を4クール終え、8月のPET検査でがんの縮小が認められました。

 ただ、「これじゃ終わらないだろうな」と思っていたら案の定、経過観察中に腫瘍マーカーが少しずつ上がりだし、年末には咳が出始めました。そして2013年の春、右肺、両側肺門リンパ節、両側縦隔リンパ節、左鎖骨リンパ節への転移がわかりました。東京でセカンドオピニオンを受けてみようと思ったのはこのときです。父親の知人をたどり教えてもらった医師を経由して、がんのセカンドオピニオンを専門とする岡田直美先生を紹介されました。

■諦めないで探せば治療法はある

 そこから岡田先生の指示を得て、怒涛の治療行脚を敢行しました。2泊3日の予定で東京に来たのに、一度も山口に帰ることなく、東京にアパートを借りて8カ月間治療に専念したのです。もう当たり前の治療では助からないと自覚していました。

 まずは入院して抗がん剤を2クールやりました。すると右肺と左鎖骨リンパ節の腫瘍は消え、次は残る両側肺門&両側縦隔リンパ節の治療のために大阪に通院しました。高濃度の抗がん剤を患部に閉じ込める動脈塞栓術という治療を受けるためです。副作用で歩けなくなり、車イスで月1回の大阪往復を3回。つらくて「なんでこんな思いをしなくちゃいけない?」と思いましたよ。でも結果、腫瘍が数ミリ縮小したのです。

 それを開胸手術で切除したのが2013年秋です。右側と左側の計2回にわたる手術を受けました。背中を大きく切られているので数カ月間はあおむけでは寝られませんでした。肺に水がたまって呼吸もできなくて一時は酸素ボンベにつながれたことも……。初めての東京で独りぼっちなため孤独感のピークでした。

 しかも、その後の検査で左縦隔と左鎖骨に再発が見られ、肝臓と右腸骨のリンパ節には転移! ただ、肝臓と右腸骨の腫瘍は再度大阪での動脈塞栓術1回で消え、最後に残った左縦隔と左鎖骨の腫瘍は、千葉の放射線医学総合研究所病院(現QST病院)で15回の治療を受けて、見事に消えました。

 このときから9年が経過しましたが、再発・転移はありません。ずっと肋間神経が麻痺しているので呼吸がしにくいですし、それによる頭痛があったり、手足のしびれなどはありますが小さなことです。

 非常に駆け足でお話ししましたけれど、治療にはじつは12人もの医師に関わっていただきました。家族や友人も含め、つくづく人とのつながりがあったから助けられたと思います。自分のような状態から助かった例は多くはないようです。そんな私が今言えることは「強い信念と明るい笑顔にはミラクル(奇跡)の力がある」ということ。諦めないで探せば治療法はあります。それで必ず助かるとは言えませんが、納得できる治療を選ぶことが一番大事かなと思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽善本考香(よしもと・としか) 1971年、山口県生まれ。1児の母。闘病経験を機に2016年にがん患者(主に女性)とその家族をサポートする特定非営利活動法人「SmileGirls」(現・SmileStation)を発足。啓発活動、講演会、メディアなどで活躍(https://smile-station.org/)。闘病記「このまま死んでる場合じゃない!」(岡田直美医師との共著、講談社)がある。

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