独白 愉快な“病人”たち

カシアス内藤さんはボクシング指導のため、がんと共存の道を選んだ「20年たっても元気」

元プロボクサーのカシアス内藤さん(C)日刊ゲンダイ
カシアス内藤さん(元プロボクサー/74歳)=咽頭がん

「咽頭がん」になったのは54歳のとき。「このまま何もしなければ余命3カ月」と言われたけれど、治療のおかげで20年たっても元気だね(笑)。手術して取ったわけじゃないから、今でもがんは喉にあって定期的に検査をしている。ずっとうまく共存しているよ。去年、肺に放射線をしたくらいだね。

 20年前、風邪のような喉の痛みが長い間治らなくて、耐えられなくなって近所の総合病院に行ったら、がんセンターを紹介されて「ガーン!」だった(笑)。ステージ4で末期の咽頭がんと告げられた。

 本来は、手術でがんを切除するのが一般的なんだけど、声帯を取ると声を失うと知って手術を断り、先生に手術以外の方法をお願いしたわけ。

 俺には尊敬するエディさん(エディ・タウンゼント。数々の世界チャンピオンを育てた名トレーナー)との約束で、「ジムを開設してボクサーを育てる」という使命があったから、声が出せなくなったらダメなんですよ。声なしでボクシングは教えられない。病院の先生に「どんなきついことでも耐えるから、やれるだけやっちゃってください」って言ったんだよね。

 先生も理解してくれて、それをやってくれたから、あの先生に出会ったことが奇跡だったかもしれない。

 抗がん剤と放射線をほぼ同時進行でやってくれたんだ。「そんな例はあまりない」って言われたけど。抗がん剤も普通は1回打つと家に帰って何週間か休んで、体力を回復させて次の抗がん剤……ってなるんだけど、俺は体力には自信があったから入院しっぱなしで、間隔をほとんど空けずにやってもらった。つらいのは一緒だから、治療はできるだけ短い方がいいという希望をくんでくれたんだ。

 入院は嫌いなんだよね。たくさんベッドが並んでいて、同じ服を着た人が廊下をとぼとぼ歩いている……ああいうのほんと苦手。

 何回抗がん剤を入れたか、何回放射線を受けたかも、もう覚えてないな。でも普通なら1年以上かかるところを半年で終わらせて退院した。

 入院中は病院の中を歩き回って、医者があきれるほど体を動かしていた。食事もバンバン食べた。抗がん剤の副作用で味覚はなかったけど、「食べないと点滴になるから退院できない」と聞いて、味がなくても無理やり食べた。びっくりしたのは、シャケを食ってもパンを食っても全部同じで、紙を食ってるみたいだったこと。コーヒーも水も同じなんだよ。味覚障害は退院したあとも1年ぐらいは続いたな。

元プロボクサーのカシアス内藤さん(C)日刊ゲンダイ
肺に影が見つかって放射線で小さくした

 きつい治療に耐えられたのは、「ジムをつくる」という強い気持ちがあったから。やはり、何か目標がないとあの治療には勝てないと思う。自分の中から活力を出さないと精神的に負けてしまう。「もうダメだ」と思ったら、そっちへ行っちゃうからね。

 医者は、どんな人にでもその人に一番合った方法を選んでやってくれる。でも、受け取る方が「ダメだ」と思っていたら良くならない。俺はそう思っている。

 だから「ジムをつくる」という絶対的な目標があって本当によかったと思っている。現役を引退してから20年近く、ずっと考えていたのに、なかなか行動に移せなかったが、余命を告げられたことで「今やらなきゃ」となって動き出せた。退院後は猛然とジムの開設に向けて邁進。病気が夢の実現を後押ししてくれたと思っているよ。

 おかげさまで、開いたジムから東洋チャンピオンを送り出すことができた。いつか世界チャンピオンを出したいね。

 がんとはうまく共存している。10年ぐらい前に肺に影が見つかって、ずっと経過観察をしていたんだけど、少し大きくなっているようだったので、去年の暮れに放射線で小さくした。良性か悪性かは細胞を採ってないからわからないけれど、多分、放射線で済んだのだから良性だったんじゃないかな。そんなわけで、それまで半年に1回の通院だったけれど、このところ2~3カ月に1回は行っている。

 ボクシングの指導をするために声を残してがんと共存する道を選んだけれど、俺自身のためにも共存を選んでよかったと思う。俺、しゃべられなくなったらシュンとしちゃっていたかもしれない(笑)。人と話せないのはきついよ。そっちの方が地獄だったかもしれない。

 本当はたばこをやめるべきなんだろうけど、それだけはやめられなくて、いまだに1日1箱以上吸っている。じつは入院中もこっそり吸ってた。たしかにいけないことだけど、無理に全部抑え込んだら精神的に弱っちゃうからね。少しくらい“逃げ道”を残してくれなきゃ、治療を我慢できなかった。

 ほかの病気? 尿管結石はちょこちょこやってる。それは咽頭がんの前からのことで、そのたびに薬で溶かして尿で出してるからそんなに気にしてないんだよ。ただ、一昨年は衝撃波で破砕する治療を受けた。2週間ぐらい入院したかな。

 誰でも生きている間には何かしら付き合っていかなきゃならないものがあるでしょう? 腰痛だったり、蓄膿症だったりさ。それが俺の場合は咽頭がんだっただけ。ずっと共存していくと思います。

(聞き手=松永詠美子)

▽カシアス内藤(かしあす・ないとう)1949年、兵庫生まれ神奈川育ち。68年に19歳でプロデビューし、71年に東洋ミドル級チャンピオンを獲得。79年に引退した。2005年、横浜に「E&Jカシアス・ボクシングジム」を開設。現在もボクサーの育成・指導に携わる。沢木耕太郎のノンフィクション小説「一瞬の夏」や、アリスのヒット曲「チャンピオン」の歌詞のモデルでもある。



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