独白 愉快な“病人”たち

脳挫傷で救急搬送された作家の伊丹完さん「もう少し時間がたっていたら死んでいたかも…」

作家の伊丹完さん(C)日刊ゲンダイ
伊丹完さん(作家/69歳)=脳挫傷

「ここはどこだろう?」という感じでした。

 自宅からほど近いファミリーレストランでいつものように食事をし、いつものようにワインを3~4杯飲んで、会計を済ませていつもの道を家に向かって歩いていたのに、そこから記憶が消えていたのです。

 それは去年の秋でした。私は毎晩欠かさずアルコール類を飲んでいました。家族が誰もお酒を飲まないので、自分の部屋でこっそり缶ビールを飲むか、1人で近所のファミレスで食事をしながらワインを飲むのが好きでした。その日もいつものようにファミレスで1人食事とワインを楽しみました。会計を済ませて家路についたのは夜10時ごろでしょうか。もちろん全然酔っぱらっていませんでした。

 でも、ふと気づいたらすごく頭が痛くて、痛いなぁと思って目覚めると、どこだかわからないところに寝かされていたのです。妻の顔がちらっと見えたけれど、見慣れない場所。そこが病院のICU(集中治療室)だとわかるまでに少し時間がかかりました。それが倒れた翌朝のことです。

 道端に血だらけで倒れていた私を見て、通りかかった人が救急車を呼んでくれたと聞きました。もし、誰にも気づかれずにもう少し時間がたっていたら、出血多量で死んでいたかもしれません。私は倒れたことも、救急車で運ばれたことも何も覚えていないんです。

 後ろ向きに倒れたようで、左後頭部を8針縫ったと聞きました。でも、縫ってくれた病院はコロナの影響で満室だったために入院できず、少し遠くの病院に移送されていました。なので運ばれたときの情報も詳しくわからないままです。

「脳挫傷」と「外傷性くも膜下出血」と診断され、先生がおっしゃるには死んでいてもおかしくない状況だったそうです。

 3日間はICUで身動きが取れませんでした。4日目には自力でトイレに行けるようになったので一般病棟に移って、リハビリが続きました。最初はふらつきがありましたが、1カ月ほどで日常生活が送れるようになり、退院。幸いなことに言語障害や半身不随といった後遺症は一切ありませんでした。手足のしびれすらありません。ただ、俳優の名前や映画のタイトルがスッと出てこないことが増した気がしますが、「そりゃ年齢だよ」ってよく言われます(笑)。

 ステッキを愛用するようになったのもこの事故があってからです。リハビリの先生の勧めで、病院の売店で買ったものです。先生が長さを調節してくれたので、ちょうどよくて。今はほとんど必要ないんですけど、年齢も年齢ですし、なによりオシャレでしょう? だから持ち歩いています。

 仕事では、ちょうど新シリーズ「大江戸秘密指令」の最終チェック段階でした。病室に届けてもらったパソコンで出版社に連絡をして、横になりながら仕事をしていました。あまりにも頭が痛かったので、「痛みが完治するように」という願いをこめて、「伊丹完」というペンネームを思いつき、このシリーズからこの名前を使うようになりました。それまでの名前から一新、生まれ変わった気持ちでスタートをしよう、とね。そうしたら、以前と比べて割と好評で(笑)。

作家の伊丹完さん(C)日刊ゲンダイ
もうお酒はまったく飲んでいない

 この一件でなにより良かったのは、お酒をやめられたことです。もうお酒はまったく飲んでいません。毎日飲んでいましたし、大勢で飲むときは量も結構多めだったんです。それが飲みたいとすら思わなくなりました。食事に付いてくる食前酒ですら人に飲んでもらうくらい。私は昔から人見知りで、お酒が入っていないと人と話ができない性質でした。だけど、お酒をやめた今でも、結構ペラペラしゃべれるんですよね(笑)。

 お酒を飲まなくなると、塩辛いものも脂っこいものもいらなくなるし、あっさりした食生活に変わって健康的になりました。

 さらに言えば、血圧の薬を飲むようになりました。50代から血圧が少し高めで、60代になってから定期健診で薬を勧められたのに、あんまり飲みたくなかったので断っていたんです。でも今回のことは血圧が関係していると聞いて飲むことにしています。

 大変な思いはしましたが、命拾いをして、お酒をやめるきっかけをもらって、健康になって、本も売れて……と良いことばかり。本当に生まれ変わった気持ちです。

 ひとつ、難があったとすれば、ICUから一般病棟に移るとき、「個室」でサインをしてしまったことです。入院経験がまったくなかったので、病院には大部屋があることすら思いつかなかったんです。病院の人から「個室は1日2万2000円で保険が利きません」と聞きましたけど、「そういうものなのか。病院って高いんだな」と思ってサインしちゃったんです。なんというか無知で(笑)。

 コロナで面会ができなかったので妻は何も知らず、退院のときに90万円ぐらいの請求があって、「なんで個室に入っているの?」と怒られました。もしまた入院することがあったら、個室には入らないようにしなくちゃと思っています。

(聞き手=松永詠美子)

▽伊丹完(いたみ・かん) 1953年、大阪府生まれ。2022年に体験した「脳挫傷」を機に現在の名前に改名し、隠密長屋を描いた「大江戸秘密指令」(二見時代小説文庫)がシリーズ化されている。映画マニアであり、落語やミステリーにも造詣が深いため、執筆の傍ら、映画祭審査員、江戸講座講師なども務めている。



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