梅毒は1500年代に日本に…病人は神様にすがった

 梅毒の起源については「米大陸を発見したコロンブスの船員がスペインに持ち帰った」という説が有名です。しかし、フランス王シャルル8世が外国人傭兵を率いてイタリアのナポリに侵攻した際に持ち帰ったという説もあり、その起源はハッキリしません。

 日本では1500年代に明国南部の港を荒し回っていた倭寇が持ち込んだとされ、当時の医学書には「シナ潰瘍」と書かれていたそうです。

 その後、梅毒は日本全体に広がり、その深刻さは「瘡平癒(かさへいゆ)の神様」を祭る神社などの多さに見ることができます。瘡とは天然痘やできものや皮膚病のことを指しますが、梅毒のことも意味しています。梅毒の苦しみから逃れるためにお参りする日本人も多かったのです。

 日本で最初に梅毒にかかっているか否かを検査したのは、1860年だといわれています。梅毒が国民病だったロシアの艦隊が長崎に入ってきた際、ロシア側の要求で行われたそうです。

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