かっけが玄米によって消滅するというニワトリの実験の結果が日本に届いたのは、1897年のことでした。もともとオランダ語であったこの論文がドイツ語に訳され、再報告されるのに時間がかかったのです。
この報告を受け、東大の教授・青山胤通はさっそく追試を指示します。その報告が翌年の東京医学会総会でなされますが、「ニワトリのかっけに似た病気は人間のかっけとは別だ」との内容で、かっけの予防につながる動きになりませんでした。
しかし、この報告の前後には日清・日露戦争があり、麦飯を食べていた海軍ではかっけがほとんど発生せず、白米を取り続けていた陸軍では30万人のかっけ患者と3万人のかっけによる死亡者を出しています。この現実は、細菌説をとる東大のグループをも動かしていきます。日露戦争後の1908年のことです。1884年の戦艦筑波でのかっけ予防から20年以上が経過しています。
数字が語る医療の真実