上皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」

ナノボットでプラークを取り除く治療法が現実になる可能性

天野篤氏(C)日刊ゲンダイ

 1960年代に公開された「ミクロの決死圏」というアメリカ映画があります。脳出血で倒れた患者を救うため、すべての物質をミクロ化させる技術の究極版として、医療チームが乗り込んだ潜航艇を微小サイズにして体内に送り込み、脳の血管内から血腫をレーザーで焼き切る治療を行う──そんなストーリーが展開されます。

 まさにSFといった感じのお話ですが、公開から60年近くが経過したいま、それが現実になりつつあります。近年、「ナノボット」と呼ばれるナノメートル(10億分の1メートル)単位の部品を持つロボットが開発され、ナノボットを患者に注入して細胞レベルで診断や治療を行うという研究が進んでいるのです。

 そのひとつに、動脈内に形成されたプラーク(粥腫)を取り除くナノボットがあります。プラークは動脈硬化の一因で、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞、大動脈瘤などにつながる危険因子です。

 動脈内側の表面にあたる内皮細胞は、高血圧や高血糖、ストレスといったさまざまな要因により傷つきます。その傷に、LDLコレステロールなど血液中の過剰な脂質が蓄積すると、プラークと呼ばれる粥状の塊ができてしまうのです。このプラークは表面が柔らかく不安定な状態で、血圧の変動などちょっとした刺激で簡単に崩壊します。プラークの崩壊が起こると、そこを塞ぐために血小板が集まって血栓が形成されます。それが詰まって血流が途絶えると、突然死につながる急性心筋梗塞を引き起こすのです。

 そんなプラークを、ナノボットを使って崩壊する前に血管の中から取り除くことができれば、命の危険がある心臓や脳の疾患の予防につながります。私はそれが実用化される可能性は十分にあると考えます。

 まず、プラークにはナノボットがプラークなのか、そうでないのかを識別する“材料”が数多く存在します。たとえば、プラークにはマイナスの電荷があったり、不安定化にはインターロイキン-6(IL-6)、やTNFαといった炎症性サイトカインの関与が知られています。こうした特徴的なバイオマーカーをナノボットがキャッチできれば、プラークなのか正常な血管壁なのかを正確に識別できますし、そのためのセンサーの開発にはそれほど時間がかからないと思われます。

 また、体内でナノボットを動かすための動力源の研究も進んでいます。光や磁気をはじめ、人間が細胞を動かす際に使っているATP(アデノシン三リン酸塩)や胃酸を利用したり、自力で成長する筋肉を使用して歩くナノボットの研究も行われています。

 さらに、体内で処置を行うために必要な“足”を有していたり、微小なナノボット単体では難しい作業を行えるように複数のナノボットが連動して動くようなシステムも考えられているのです。

■既存の薬との競合も考えられるが…

 もちろん、まだまだ課題は山積みです。たとえば、ナノボットがプラークを単純に破壊してしまうと、それが心筋梗塞や脳梗塞の要因になってしまいます。ナノボットがプラークに張り付き、マクロファージのように少しずつ貪食していくにしても、プラークを削りすぎると今度はそこに血栓が形成されやすくなります。こうしたプラーク除去の方法や程度をどうコントロールしていくのか、より詳細に考察しなければなりません。

 ナノボットがプラークを溶かすような薬剤を直接患部まで運ぶといった仕組みも考えられますが、そうなると、既存の薬との比較が問題になってきます。たとえば、コレステロール血症の治療に使われているスタチンという薬があります。スタチンは体内でのコレステロール合成を抑制するという主作用に加え、血管内皮機能の改善、心筋保護、抗炎症といったさまざまな作用を持つとの報告があり、動脈硬化の予防効果が報告されています。

 すでにプラークがある患者さんでも、スタチンの服用によってプラークが消失し、血管の壁がきれいになるケースがあります。プラークは血管の内皮細胞で炎症が繰り返されることでつくられると考えられています。スタチンが持つ抗炎症作用によってプラークが最終的にかさぶた状になり、少しずつ血流に洗われてきれいになるのです。

 ナノボットが薬と競合するとなれば、「薬で改善できるプラークを、わざわざナノボットを使って取り除く必要があるのか」という意見が出てくるのは間違いありません。歴史的に見ても、製薬会社のほうが安く確実にエビデンスを構築しやすいのは明らかです。

 ですから、プラークを取り除くナノボットが進化するかは、マーケットがどこまで広がるかに左右される可能性が高いといえます。

 ナノボットを使う血管内治療としては、血栓が形成、あるいは詰まっている場所に血栓を溶かす薬を運んで正確かつ効率的に血栓を除去する治療法の研究も進んでいます。これは、脳梗塞を発症した患者さんに対し、カテーテルを使って血栓を溶かす薬を注入し、短時間で脳血管を再開通させるt-PA療法の進化版ともいえる治療法です。

 ナノボットを使ってプラークを取り除く治療も、このような急性致死性疾患での局所治療の確実性向上という位置づけ、すなわち“ミクロの救命療法”という形で開発研究が進んでいくのではないでしょうか。

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天野篤

天野篤

1955年、埼玉県蓮田市生まれ。日本大学医学部卒業後、亀田総合病院(千葉県鴨川市)や新東京病院(千葉県松戸市)などで数多くの手術症例を重ね、02年に現職に就任。これまでに執刀した手術は6500例を超え、98%以上の成功率を収めている。12年2月、東京大学と順天堂大の合同チームで天皇陛下の冠動脈バイパス手術を執刀した。近著に「天職」(プレジデント社)、「100年を生きる 心臓との付き合い方」(講談社ビーシー)、「若さは心臓から築く 新型コロナ時代の100年人生の迎え方」(講談社ビーシー)がある。

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