独白 愉快な“病人”たち

芸人・コラアゲンはいごうまん心筋梗塞での緊急手術を語る

コラアゲンはいごうまんさん(C)日刊ゲンダイ
コラアゲンはいごうまんさん(芸人/54歳)=心筋梗塞

 舞台に立って漫談をしているまさにその最中に“それ”は起こりました。突然、心臓をギューッと握りつぶされるような、経験したことのない痛みに襲われたのです。

 昨年9月8日、横浜で落語家の春風亭一之輔師匠との二人会での出来事です。互いに持ち時間1時間で、後半を担当した僕は始まる前も始まってからも普段通りでした。でも、45分過ぎたあたりで心臓がギューッとなって、まるで富士山の山頂かと思うほど、酸素が薄くなった気がしました。

 自分の身に何かすごく異常なことが起こっていることは自覚できたものの、何が起こっているかはわからず、あと15分の舞台をなんとかやり切ることしか考えていませんでした。

 漫談を終えたのは夜9時ごろ。治まることのない痛みに、楽屋で劇場の館長さんに「病院に行きたいです。今の時間でもやってるところ知りませんか?」と尋ねていました。そのまま家に帰ろうと思えば帰れないこともない痛みでしたが、性格がビビリなので病院で診てもらいたかったんです。そうしたら館長さんが救急車を呼んでくれまして、結果、命拾いしました。あのまま家路についていたらどうなっていたことか……。

 病院に到着してからは“ジェットコースター”です。血液検査や心電図をつながれたと思ったら、「間違いなく心筋梗塞です。命に関わるので緊急手術します」と言われました。9時過ぎまで舞台で人を笑わせていたのに、その90分後には手術台にいたのですから、急展開すぎて頭も気持ちも付いていけませんでした。でも、たしかに刻一刻と体の状態が変わっていくのがわかりました。心臓の痛みはさらに強くなり、顔面は蒼白で、体全体も白っぽくなり、ひどく凝っていました。腕の血管は浮き出るような感覚で、漫画のワンシーンのように、そのままパリパリ割れていくかと思いました。

 絶対安静となり、股間に尿道カテーテルが入れられました。痛かったです。でもさらに痛かったのは、手首から心臓へカテーテルを入れるための麻酔でした。痛みを感じないようにするための麻酔が人生で一番痛かった。

 しかも局部麻酔なのでその後も意識があって、カテーテルが体に入っていく感覚がありました。血管の詰まった場所に到達すると風船を膨らまして血管を広げるのですが、そのときは胸が破裂するかと思うほど痛かった。

 しばらくすると、医師が「サイカンリュウ」と言いました。それが再び血液が流れる「再灌流」だと知ったのはその直後でした。同時にス~ッと心臓の痛みが引くのがわかったのです。その後ステントを入れる作業が終わった時、担当の医師が助手に向かって「明日研修でしょう。もう帰っていいよ」と言ったので、「ああ、助かったんだ」と思いました。

 ただ、その後も心臓破裂や心不全の可能性が0.5%あると聞いたので、その日はまったく眠れませんでした。0.5%なんて0に等しいと思うかもしれませんが、僕はそれを気にするタイプなのです(笑)。集中治療室で何度もナースコールをして、看護師さんに引かれてしまいました(笑)。

コラアゲンはいごうまんさん(C)日刊ゲンダイ
一日でも長く芸人ができるように生きたい

 翌日も体にいろいろ刺さったままで、テレビもないし、カミさんと会える面会時間は午後3時ですし、気を紛らわすものは何もない。何より寝返りできないことがつらくて、命を助けてもらったというのに「死にたい」と思ったりもしました。

 コロナ禍が明けて、やっと全国ツアーの日程が決まった直後の出来事であり、2日後には静岡の舞台に立つ予定でした。劇場にこの事態を連絡しなければならないのに、自分は何もできないつらさ。妻に代わりに連絡を入れてもらわなければならない申し訳なさ。あちこちに迷惑をかけて、そこでももう死にたいと思いました。

 でも、「気にしないでええから」「待ってるよ」「唯一無二の芸をやっているんだからゆっくり治して戻ってきて」と、うれしい言葉をたくさんいただいて、「生きよう」と思いました(笑)。

 あれから1年が経ちました。今は2カ月に1回のペースで通院しています。つい先日も血液検査で「問題なし」と言われたばかりです。

 心がけているのは減塩の食事です。入院中は1日6グラム以下だったので、退院後もなるべくそうしようと、きちょうめんに計量スプーンで量ったりしていました。今はそうでもないですけどね。でも2回目は死ぬかもしれないと聞いているし、ビビリですから塩分に関してはかなり意識しています。やっぱり、一日でも長く芸人ができるように生きたい。薬は現在6種類、7錠を毎日飲んでいます。動脈硬化予防のためにもたぶん一生飲み続けると思っています。

 ちなみに、舞台上で心筋梗塞を起こしたのに、なぜか誰にも気づかれませんでした。お客さんのみならず誰よりも舞台の僕をたくさん見ているはずのカミさんも、「全然、気付かなかった」と言うのです。「そんなはずないやろ。死にかけてたんやぞ。どっかいつもと違うとこあったやろ?」と言うと、ひと言「ウケてた」と言われました。

(聞き手=松永詠美子)

▽1969年、京都府出身。88年にNSC(吉本興業の養成所)に入学。そのまま所属芸人となるが、99年に独立。上京して2003年からWAHAHA商店に所属した。暴力団、ホストクラブ、宗教団体などで実際に働き、そこで入手したネタを漫談する唯一無二の「体験ノンフィクション漫談家」として活動。20年からフリーになり、ライブを中心に活躍している。



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