独白 愉快な“病人”たち

元サッカー選手・元Jリーグ専務理事 木之本興三さん (65) バージャー病 ㊦

(C)日刊ゲンダイ

 サッカーを見る側に変わって気がついたのは、デコボコのグラウンドや客の入っていないスタジアム。これでは、日本のサッカーは強くなれないと思いました。

 事実、日本サッカーはメキシコ五輪で銅メダルを取ってから、国際試合で勝てず、ワールドカップやオリンピックに一度も出ていなかった。いい人材をサッカー業界に招き、世界と戦えるまで強くなるにはどうすればいいか? 考えた末に出た答えは、サッカーのプロ化でした。

 日本サッカー協会の幹部は、アマチュアスポーツの総本山でもある日本体育協会の幹部。なかなかプロ化は言い出せないという状況でしたが、奮闘の甲斐あり、93年にJリーグが発足。チェアマンが川淵三郎で、私は常務理事でした。

 グッドパスチャー症候群に続き、それまで聞いたこともなかったバージャー病だと分かったのは2002年です。日韓ワールドカップで、私は日本代表団長を務めていました。仙台でのトルコ戦の後、寿司屋で軽く飲んでいたら、ちょっと前から右足の中指に出来ていた血マメが爆発!

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