死なせる医療 訪問診療医が立ち会った人生の最期

患者にとっては負担でも「延命装置」が必要な時もある

小堀鷗一郎医師(C)日刊ゲンダイ

 救命措置は母親の体を考えれば負担になっただろう。だが、母の死後も生きていく家族にとっては必要なものだった。

「私は診察で訪問するたびに本人や家族と話をしてきました。病状が進行した時は特に、それからのことについてゆっくり話し合ってきたのです。娘さんが懸命に介護をする姿も見てきました。そんな状況を知っていたから、母親を一人で死なせるわけにはいかないと判断したのです」

 医師として、友人・隣人として、深く長く接してきたからこその決断である。

 それでも毎回、正解を選べるとは限らないという。「救命・根治・延命」から「死なせる医療」に切り替えるターニングポイントは確実にある。だが、いつがその分岐点かの見極めは、経験を積んできた小堀さんをもってしても、難しいという。

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小堀鷗一郎

小堀鷗一郎

1938年、東京生まれ。東大医学部卒。東大医学部付属病院第1外科を経て国立国際医療センターに勤務し、同病院長を最後に65歳で定年退職。埼玉県新座市の堀ノ内病院で訪問診療に携わるようになる。母方の祖父は森鴎外。著書に「死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者」(みすず書房)。

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