つまようじも持ち上げられないほど握力がない状態から、なんと2週間後には外出許可が出るまで回復して、自分が出るはずだった舞台を、右足を多少引きずりながら自力で歩いて見に行きました。この回復力には、病院スタッフの方々もビックリして、僕は「奇跡の人」と呼ばれました。
■「顔の表情さえ動けば演劇はできる」と思っていた
50日間にわたる入院で脳出血は奇跡的にそのまま治癒し、手術はせずに済みましたが、腎不全と右半身不随は残りました。退院後はいったん山口に帰ってリハビリ生活をし、体が自由に動くようになってからアルバイトでお金をためて、30歳のときに再び上京しました。モチベーションは「演劇がやりたい」という思いだけです。
死亡率8割と言われても、腎機能がもって3年と言われても、車イス生活になると言われたこともありましたが、「顔の表情さえ動けば演劇はできる」と思っていたので、やめるつもりはありませんでしたし、悲観することもなかったです。なったものはしょうがないので、あとは病気に合った対処をするだけだと考えました。
独白 愉快な“病人”たち