■地方医療の疲弊を食い止める
1県1医大政策は、最後に設立された琉球大学医学部が卒業生を輩出した87年に一区切りがついたといえます。一時は「医師の数を減らしたほうがいい」という声もありましたが、舛添要一氏が厚労大臣を務めていた時代にその意見は否定され、地方の医師不足を解消するために医学部の定員が増やされることになりました。さらに、安倍晋三内閣の頃に、東北医科薬科大と国際医療福祉大に医学部設置が認可され、この時点でかつての1県1医大政策の構想は完全に終わりを迎えたといえるでしょう。
そうした流れの中で1県1医大政策という考え方がほとんど表に出てこなくなったこともあり、今一番脂がのって現場でバリバリ活躍している2003年以降に医師になった人たちは、1県1医大政策にまったく馴染みがありません。
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