独白 愉快な“病人”たち

脳腫瘍で人生を諦めていた歌手の岡田しのぶさん「奇跡が起きた」

歌手の岡田しのぶさん(C)日刊ゲンダイ
岡田しのぶさん(歌手/46歳)=嗅窩髄膜腫

 目の裏、嗅覚神経が走っているど真ん中に直径4センチの脳腫瘍が見つかったのは去年の6月でした。腫瘍は良性でしたが、できた場所が悪く、何かしらの後遺症が残ることは覚悟しなければなりませんでした。最悪なことばかりが頭をめぐって、半ば人生を諦めていました。その2カ月後に奇跡が起きるまでは……。

 最初に感じた異変はめまいでした。地元・群馬の総合病院の耳鼻科を受診すると、初めは「問題なし」と言われたのですけど、話のついでに「そういえば脳がキューッと圧迫されるようなことが半年前から時々あるんです」とお話ししたところ、「MRIを撮ってみましょう」となって腫瘍が見つかりました。

 すぐに脳外科に回されましたが、良性か悪性かは教えてくれません。大きさを心配する私に「大きさは問題ではなく、大きくなるスピードが問題なんです」と先生がおっしゃったので、ふと思い出したことを先生にお話ししました。

 じつは9年前に頭の中で音がする「頭鳴り」でMRIを撮ったことがあったのです。先生は、すぐさま9年前の病院から画像を取り寄せて、今回の腫瘍と同じ場所に5ミリほどの腫瘍を発見しました。つまり9年かけてやっと4センチになった成長の遅い腫瘍だとわかったのです。

「悪性なら3年で死んでるよ」と言われて、安心したのもつかの間、良性でも放置すれば神経を圧迫して視覚や嗅覚を失ったり、てんかんを起こす危険性もあるから、手術で取ったほうがいいと言われました。

 知人に鼻から脳腫瘍を取ったという人がいて、「東京の○○病院がいいわよ」と有名大学病院を教えてもらったので、その大学病院を受診したところ、私の場合は鼻から取ることはできないとのことでした。説明されたのは開頭手術。「頭の皮を切って剥がして、頭蓋骨をくりぬいて脳みそを持ち上げて腫瘍を取る」というお話で、いきなり怖くなりました。

 脳を持ち上げると30%の確率で言語障害など、なんらかの後遺症が残るというリスクも聞きました。医師は最悪のケースを言うものだと知っていても、不安は募るばかり……。

 しかも手術後3カ月から1年は復帰できないと言われました。入院できる長期の休みは11月の3週間しかないのに、手術日は11月どころか、7カ月後の翌年3月で設定されました。もう、会計に並んでいる間にどんどん嫌になってきたんです。それと同時に、脳神経外科医で神の手を持つといわれる福島孝徳先生のことを思い出したのです。といってもテレビで見ただけなんですけど(笑)、これが奇跡の始まりでした。

歌手の岡田しのぶさん(C)日刊ゲンダイ
「大丈夫」という先生の言葉に母親も号泣

 ツテもコネも何もないまま、とりあえずネットで検索してみました。すると先生のホームページがあって「お問い合わせ」があったのです。超有名な先生ですから、どうせ返事など来ないと思いながらもダメモトで現状を詳しく書いた長文のメールを送ってみました。すると、3日後に秘書の方から電話があったのです。歌謡ショー本番前の楽屋で手が震えました。

 その後、改めてお電話すると先生と直接お話しすることができ、「すぐ、私がやりますよ」とおっしゃってくれて……もう助かった気持ちになりました。

 福島先生は、今年80歳。それでも米国と日本を頻繁に行き来しながら1日3人もの手術をこなす現役の脳外科医です。帰国した10月半ばに指定の病院で診察を受け、改めてMRIを撮ると、11月2日には手術というスピード対応でした。そこしか休みがないという私の都合に合わせてくださったのです。さらに福島先生がすごいのは、ひと言も最悪のケースをおっしゃらなかったこと。「私がやれば大丈夫。任せてください」という言葉に母も号泣していました。

 手術は開頭手術で12時間。術後3日間は嘔吐するばかりでしたが、開頭手術後はそうなるもののようです。終わってみれば、入院はたった12日間でした。ただ、腫瘍が嗅覚神経のど真ん中にあったため、100%腫瘍を取ると100%嗅覚を失う。「それはまだ若いのに可哀想だから」と、先生は嗅覚神経を半分残してくれました。今は嗅覚が半分ない状態です。でもそのくらいの後遺症は、ないに等しいと思っています。

 退院6日後には岐阜でディナーショーをやりました。もちろんマネジャーを含め、周りの全員に反対されました。父親は親子の縁を切らんばかりの大反対でしたが、お客さまや主催者に迷惑をかけたくない一心で強行突破。フラフラの船酔い状態ながら、歌もトークも笑顔でやり切りました。終わったあとは気持ちが悪くなりましたけど……。

 それから今日まで問題なく過ごしています。ただ、嗅覚神経を半分残すために、薄皮一枚だけ腫瘍細胞を残したので経過観察は続いています。もしまた腫瘍ができたら、次は嗅覚を全部失うことになります。闘いは続いていますが、今後も前向きに頑張ります。

 最後に申し上げたいのは、「諦めないで」ということ。無理だろうと思っても、何か行動すれば道が開ける可能性があります。ちなみに福島先生は緊急度の高い人から連絡を取るそうです。

(聞き手=松永詠美子)

▽岡田しのぶ(おかだ・しのぶ) 1976年、群馬県出身。幼少期から各地のカラオケ大会で好成績を収め、12歳で作曲家・船村徹氏の目に留まり、13~16歳まで師事。2018年に「いのち預けて」でメジャーデビューし、22年オリコンヒットチャート演歌部門第4位に輝く。新曲「しぐれ海峡」のカップリング曲「命の絆」は闘病を経た自身が作詞作曲している。



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