⑨「死にたい」と言われても正論で返さない
わが子に「死にたい」と言われて、動揺しない親はいないでしょう。湧き上がる不安や動揺を、「親より先に子が死ぬなんて親不孝だ」「お願いだから死ぬなんて言わないで」などと、これも正論で返すような言動は無意味です。「死にたいくらいつらいんだね」「殺してほしいほど困っているのね」とひたすら傾聴・共感に徹しましょう。
正論なんて口にして、その場でお子さんの言論封鎖をしたところで、親が「なにかやっている」という安心感を得るための自己満足でしかなく、そんな話でいくら説得されてもお子さんの死にたい気持ちは消えません。
そもそも、「『死にたい』という訴えは『死にたくない』」という言葉もあるように、本気で死ぬと覚悟した人は誰にも何も言わずに実行してしまうとも言われています。「死にたい」という訴えは苦しさを訴えているSOSで、何のSOSかと言えば、一次感情を感じられない苦しさで、希死念慮という二次反応への回避を表現しているのです。だから、そこに「死にたいなんて言うな」などと“臭いものに蓋”をするだけでは、親の視界から訴えは消えたとしても、「『死にたい』と表現する逃げ道すら塞がれてしまった。かといって一次感情に向き合えない」お子さんは、さらに極端で危険な方向に捌け口を求める--。つまり、本当に自死に追い込みかねない危険性すらあるのだと認識しましょう。
「不登校」「ひきこもり」を考える