がんと向き合い生きていく

がん薬物治療のパイオニアだった木村禧代二先生との思い出

佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

 木村先生は、毎朝8時には病院に着いておられました。夜に受け持ちの患者さんが亡くなると、翌朝8時に副院長室に報告に行きます。先生は、机の上に飾られたたくさんのカニ(cancer)の置物の前で、1時間ほどかけて白血病研究のことなどいろいろな話をしてくださいました。

■「同じことを10年やってみなさい」

 がんセンター3階の管理棟の奥にレジデント部屋があり、私はそこに3年間、寝泊まりしていました。夜8時ごろ、3階にある職員用の風呂に入るのですが、同じ3階に副院長室があります。ある時、木村先生が部屋から出てこられ、ばったり会ってしまいました。

「おーい、佐々木君、もう風呂か」

 そう声をかけられて、バツが悪かったことを思い出します。

 先生は固形がん化学療法の開発にも力を入れていました。「フトラフール」という抗がん剤の開発では、先生がロシアに出張された際、私の担当だった胃がん患者で有効性を示す胃X線写真のスライドを持参され、私はとても誇りに思いました。

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佐々木常雄

佐々木常雄

東京都立駒込病院名誉院長。専門はがん化学療法・腫瘍内科学。1945年、山形県天童市生まれ。弘前大学医学部卒。青森県立中央病院から国立がんセンター(当時)を経て、75年から都立駒込病院化学療法科に勤務。08年から12年まで同院長。がん専門医として、2万人以上に抗がん剤治療を行い、2000人以上の最期をみとってきた。日本癌治療学会名誉会員、日本胃癌学会特別会員、癌と化学療法編集顧問などを務める。

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