また、樋口一葉は「われから」(1896年)で「あるときは婦女どもにこる肩をたたかせて……」とあり、「こる」という言葉を用いています。夏目漱石は「門」(1910年)で、女主人公のお米の肩凝りを「頚と肩の継ぎ目の少し背中によった局部が石のように凝っていた」と著しています。
一方、「肩が凝る」に相当する英語表現は“have a stiff neck.首すじの不快感”、フランス語圏では“J 'ai malau dos.背中が痛い”が近いようです。つまり日本人が覚える「凝り」に対する適当な表現を持ち合わせてないのです。またこれらの言語を用いる人が日本に在住し、「肩凝り」という表現を知ってから、肩凝りを感じるようになったというエピソードもあります。日本人にとって肩凝りの「肩」は「肩・首・背中」を広く指す一方、外国人にとっての「肩」は肩関節(shoulder)であり、「肩」の範囲が異なることも影響しているかと思われます。
「肩の痛み」と違い、「肩凝り」は世界共通の症状ではなく、日本の文化の中で培われた身体症状なのかもしれませんね。
五十肩を徹底解剖する