コロナ禍で家族に会えませんでしたが、窓から下の駐車場にいる家族に手を振ったのは1回だけでした。意外とみんな慣れてくるんでしょうね。当初、泣いてた子供たちも、うるさい母親がいなくてのびのびしていたみたい(笑)。私も家事から解放されてのびのびしていました(笑)。
大変だったのは家事に育児に仕事にと奔走した夫だと思います。血液検査の結果に、私以上に一喜一憂していたことが忘れられません。義理の母や実姉に食事面で助けてもらったことも大きかった。実家(京都)の母も頻繁に食品を送ってくれました。周りの人の支えなしではここまで順調に退院できなかったので、みんなに心から感謝しています。
また、レギュラーを務めるラジオ局の方に「待ってるよ」と言われたことも、治療に前向きになれた原動力でした。目標を持つことは患者にとって大事だと思いました。
独白 愉快な“病人”たち