私はあくまでも手術を執刀したというだけで、その患者さんのかかりつけの担当医ではありません。ですから、診察する機会も数カ月に1回程度です。それでも、亡くなった知らせを聞くと、あのときほかに何かかけられる言葉があったのではないか、もっとお話ししておけばよかったのではないか……といった気持ちが湧き上がってくるのです。
外来で患者さんにお会いするたびに、「執刀医として、この患者さんがいつ亡くなっても思い残すことはない」といった覚悟はどうしてもできません。また3カ月後に来てくれれば、またお会いできればいいなという思いがあるのです。
そうした患者さんと多く接していると、自分自身の去り際についても考えさせられます。
私には妻、長男、長女の家族がいますが、その家族に見守られながら安らかに息を引き取る最期は想像していません。自分勝手かもしれませんが、ひっそりとしかし厳かに逝きたいのです。自分の死が家族の負担になってしまうかもしれないという思いからではありません。自分の生きざまとしてそう潔くありたいのです。
天皇の執刀医「心臓病はここまで治せる」